現代作家の50人 佐々木四郎氏
二つの空間 同時的に
新しい出発が始まった
半年ほど前、あるグループ展で、佐々木四郎の近作の小品を一点見た。透明なプラスチックの板を縦横に仕組んで、できるかぎり、切りつめたかたちで、いままで彼が追求してきたさまざまな形態を凝集し、集約している。箱状の薄い立体で、正方形の表面を覆ったプラスチックの面の中に閉ざされて、縦に置かれた同質の素材の切り口の断面が線のようになって、かたちを構成し、深さと広がりをもって変化しつつ展開してゆく。
新しい出発が始まった・・・。
私はそう感じ、この作品を欲しくなり、画廊主にそう言って、作家に伝えて買うことにした。が、この展覧会が終わったとき、作者の何かの都合で非売になっているという話で、手に入れることができなかった。その後私は外国へ行ったり、その他さまざまな雑事に追われ、その作品を見ていないし、作者に会ってもいないので、どうなったか?私の予感では、これはもっと大きなものに発展するはずだが・・・。
十年ほど前、はじめて佐々木四郎と知り合ったときから、彼は、あるかたちを大きく限定することで、閉ざされた空間と開かれた空間をとを同時に存在させようとしているように思われたし、その追求を続けてゆくうちに、次第に、自分の情熱、情感などから出てくる、ある意味で恣意(しい)的なものを、できるかぎり排除する方向に向かっていると思われた。
そのころ、佐々木四郎は、六年間のドイツ滞在から帰国したばかりだった。私は、こんな風に書いているー。
「佐々木四郎の作品には構成主義というより、新しい構造主義と呼ばれるにふさわしい要素と、抽象表現派的要素とが、必然性を持って結びついている。・・・中略・・・。黒い、いわばハード・エッヂのかたちにつつまれた空間に、その外側の白の空間と奥行きをとらえ、その切断された二つの空間を同時に存在させようとするかのようだ。中の空間に抽象表現派的な不定形と、さまざまな色彩を用いて、一見混乱しているかに思われるが、重なりあうかたちにそった色彩には混濁がない。切断されたがゆえの統合は、色彩感覚のよさのためだろう・・・」
「色彩感覚のよさ」というだけでは言葉足らずだろうか?自他の存在するはずの空間に関する意識が明快であり、かつ明快にしようとする意欲の方向の明快さだといいかえてもいい。
開かれた空間を私たちは望み、それに向かって努力するが、そのことを十分承知して、それゆえに、閉ざされた空間を意識し、それに立ち向かってゆく。いわば外見上、あるいは物理的には、閉ざされた空間のなかで、無限に展開しうる可能性を追求する。
もともと人は、いくえもの意味で、閉ざされた空間の網の目のなかに生きねばならぬし、そのなかで、有限性と無限性との矛盾したかかわりのうちに、なんらかの希望をつないでいる。多元の価値が相互に貫入しあっている状況では、たぶん、それぞれの価値の自律したポリフォニック(多声音楽的)な方法が必要だし、それには恣意的なもの、あるいは不定形なものをできるだけ排除して、素材そのものが、それなりに自動してゆく動力にまかせながら整合する方法の発見が必要なのだろう。新しい出発とはこうした意味だ。
(岡本謙次郎・美術評論家)