「夜の光に追われて」津島 佑子
津島佑子の作品に強くひかれたのは「厨子王」を読んでからだった。
東京に住む美紀子と青森から上京した雪枝は、学生時代の友人だった。雪枝は寮生活から始め、そのうちにアパートに移った。わずかな自由を求めた平凡な学生に遇ぎない。彼女たちにも就職の時期がやってくる。美紀子はこれ以上母親の金で学生生活を続ける気はないので、何処かの会社に就職するつもりだった。
雪枝は多少の迷いがあるようだった。親との約束だから、一応盛岡に帰らなければならない。けれども、東京に残って、本当に自分がやりたかったことをやってみたい、とも思っている。親が反対するに決まっているけれど、このまま盛岡に戻ってしまうのも心残りなのだ。
でも、なにをやりたいというの、と美紀子は聞いた。・・・。雪枝は恥ずかしそうに口ごもりながら、答えた。宗教なの、それが。
雪枝は短大から四年制への編入試験を考えるが、郷里には帰る。しかし、しぱらくして家出をし、美紀子を訪ねてくる。ちょうど弟が、東京の大学を受験するので、編入試験を受けようというのだ。
・・・あたしもやっぱり、もう少し勉強したいんだわ。向こうでもできるって親は言うんだけど、あたしの習いたい先生は東京にいるんだもの。
しかし、雪枝は、結局家に帰る。
しばらく音信が絶えた後、美紀子に電話が入る。今度はイギリスに留学したいというのだ。ついては、旅行会社に就職した美紀子にいろいろとカを借りたいと言う。しかし、親が反対しているからということで、隠れて連絡をとっているらしい。そのうちに、わたしは監視されていると言い、果ては国際スパイ団が動き出したという。
その後、雪枝は他界した。
人が生き存えようとするとき、晒さねばならない残酷な姿。雪枝はある意味で自分を欺き続けた。彼女が"本当にやりたかったこと"は宗教などではない。自分の中に蠢く異物を、とりあえず閉じ込めようとしたのが宗教であったに過ぎない。であるから、彼女はかえってこの幻想にこだわり続けるほかなかった。彼女の言う"あたしの習いたい先生"に習っても、究極的には被女は幻滅するしかない。それでも人は、そうした"様々なる意匠"に寄り掛らずにはいられない。
そのことを笑うことはできない。"様々なる意匠"を、そうとは認めない精神を滑稽に感じる。また、それを笑うことで、幻想に寄り掛らずにいられると思うことも同様に滑稽に思える。
しかし、それはいずれにしても何ほどのことではない。
雪枝のみっともないもがき方は、すべてそのまま僕自身のもがき方に違いない。雪枝の電話口の向こうには、誰にもどうすることもできない淋しみが、静かに音もなく、大きく横たわっている。
雪枝の姿は僕たちの必然と相似形をなしている。
雪枝が他界した後、美紀子は東京で雪枝の弟からの手紙を受けとる。彼によると、両親のもとで失意の日々を送りながら、雪枝はいつしか自分の悲しみと東京の弟の活躍を安寿と厨子王の伝説になぞらえていたという。そうすることで、やっと日々の自分をもちこたえようとする。おそらく、このように悲しい姿で人は存えていくしかないのだ。
それでは人には絶望しかないのだろうか。雪枝のことは彼女と美紀子が学生時代にした東北旅行の回想を軸に綴られる。ほとんど無計画といっていい旅行だった。その時のことは美紀子が雪枝のことを思うとき、暗い映像の中のひとつの明るさをかもしだす。電車やパスの乗り継ぎがうまくいかなかったこと。期待していたより退屈だった場所。信じられぬ距離を歩き、学校に泊めてもらうはめになったこと。突然目の前に現われた浄土が浜の白い岩と青い海、そのあまりの明るさと色鮮やかさ。旅の一こま一こまを克明に記憶していながら、そのすべてが夢のように思えないこともない。雪枝の生の暗がりの中で、それは覆い難い明るさで浮かぴ上がる。そのほの明るさと生の寂しみは、まったく同時的なものに違いない。その相反するものが堅くかみあったところに人の生のがあるのだろう。
「夜の光に追われて」は、愛児を失った津島の生と、九歳にならずに他界した男の子の生と、中世文学の「夜の寝覚」が響きあう。
人間があまりにも救われない、筋も通らない生を遇ごさなければならない存在だから、せめて架空の話を夢見ておきたい、という願いから、人間は今までに数えきれないほどの物語を紡いできたのかしら。こんな風に思っていたこともありました。でもこの頃は、そんな消極的なことではなかった、と思うようになっているのです。
時の流れと人間の存在との、滑稽なほどのちぐはぐさ。時の流れから逃れることができないほど密接に生きているはずなのに、いつか必ず、いとも簡単に、その人間はひねりつぶされてしまう。生かされているのか、と思う時のくやしさ。くやしくって、くやしくって、全身で叫びださずにいられなくなる。なにか書きだす時、人間はそんな激しすぎるような
感情を吐き出そうとしているのではないでしょうか。
こうして、津島佑子自身が語る他に僕たちが口にできることはそう多くない。彼女は自分の息子を失った。「夜の寝覚」の珠子は姉の夫の子を身籠ってしまう。これほどに受け入れ難く、また如何ともし難いことはない。この事実の前で人はどうすればよいのか。いったい何故なのか。決して答えのない問いをせざるを得ない。
-なぜ、なんのために、という問いの意味のなさを、私も思い知らされました。どうしたって、子どもが先立ち、私が生き残っている理由など、見つけられないのです。
・・・
-人は無意味に生まれ、無意味に死んでいくものなのでしょう。もし、答えがあるとしたら、このようにしか言い表せない答なのだと思います。でも、木の葉や、鳥には、苦痛を与えることのないこの答えも、人には救いがなさすぎて耐えられないのです。
耐えられぬ生を生きなければならない。"生き恥を晒す、という言葉があります。この世に残されることがどれだけ幸いことか、私にもはじめて知らされました。"そこでは、僕たちは孤独のままに共生する。そこで諦念という言葉を使ってもいいだろう。ところで諦念という言葉はとても難しい。僕たちがそこに読みとることのできる心象は無限に近いと言っていい。いま、ここで僕は生の肯定とともに屹立した諦念を思いたい。
無意味は無意味のままに、孤独は孤独のままに、けれども生の底には必ずほの明るく浮かび上がるもの。いずれも、一方のみでは脆弱な姿だが、この両端が強く引き合う時、何ものかが転換する。
・・・たとえぱ、今まであなたたちのことを日々考えたり、私自身のことを考えたりするうちに、この世の人間にとってなにが本当の喜ぴなのだろう、意味のあることなのだろう、それはほんの小さな頃にはじめて知った日の光の暖かさなのではないか、水面を輝かす光の眩さなのではないか、と思い直すようになったのです。・・・私は自分に残されている、そうした幼時の喜びを、あれもこれも、とありありと思い出すようになりました。
繰り返すが人の生の営みは、無意昧なままである。人の生の営みは眩く尊い。この間に接続詞はない。ふたつはまったく同時に平行して存在するのだ。この感触、生命感覚の実現をここに見い出すことができる。そして、その生命感覚が孤独な生を共鳴させる。
悲しいことの多い宿世を、これこそ自分のものと認めるには、一体どれだけの覚悟が必要なものでしょうか。
多くの場合、僕たちはむしろ自分の生に向き合わず、夢想の中を彷徨うぱかりだ。さらにまた、僕たちは生を量的に掴むことしか出来なくなりつつある。
理不尽な生をわがものとする悲しく逞しい命。人には美も醜も、ともにあるに違いない。そこで醜なる部分から目をそらすだけでは、決して崇高なものは生まれない。もちろん、醜なるものをあぱきたてるだけでは不十分だろう。醜なる部分もそのままに認めながら、美としっかりかみあわせることができたとき、そこに崇高なものが生まれるのだろう。
・・・それに不思議なのは、みんな、平穏無事で過ごしてきた人よりもかえって陽気で、楽しそうに見えるということでね。ぎりぎりの底まで落とされてしまうと、人は浮かび上がってしまうのかしらねえ。意外なことだけど、そういうことなんだろうね。"セ・ラ・ ヴィ"としか言いようのない感じになりますよ、そりゃあね。"セ・ラ・ヴィ"・・・。
唐突に老母の口から出て来たフランス語に仰天し、私は笑い声をあげて、母の顔を見た。母の眼もとと鼻先が赤くなっていた。
ねえ、これぞ人生、とでも訳すのかね。フランス語って面白いねえ。
母は言い続けながら、自分の眼に手の指を押し当てた。声が詰まり、呻き声を洩した。
私はあわてて、その母に笑いながら言った。
"セ・ラ・ヴィ"ねえ。なんだか訳しようがない感じね。
私も涙ぐんでしまった。
僕は、この諦念を消極的な意味ではなく、積極的な意味で口にしたい。そして、そこにある悲しみと強さに、つきることのない美しさを見る。命の、生命感覚の実現した美しさ。ここでだけ人と人は触れることができる。
津島佑子の切ないほどに孤独な生に僕は敬意を抱かずにいられない。