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狩野永徳「唐獅子図屏風」
美の美
金地に濃彩で、ふてぶてしいまでに堂々たる獅子が大地を歩いている。臆面もなく野放図である。顔つきなど俗といえばはなはだ俗だが、それをひねくれずに思い切って出し、ユーモアがある。……だが、むろん、豪宕なのは獅子よりも、むしろ作者の精神にちがいない。
「唐獅子図屏風」一隻のうちだが、これには永徳法印筆と孫の探幽が紙中極めをしている。たぶん、まちがいあるまい。永徳は元信の孫、織豊時代の障壁画をリードした大国家であったことは確認されている。
信長の安土城の七層の天守閣は下から上まで、ほとんど全部永徳の障屏画でみたされていたという。当時永徳は三十八歳。多くの先輩画家もいた中で、永徳をえらんだ信長の見識と度胸と発らつとした気魄も相当なものだ。秀吉もこれをついで、大阪城、伏見城などを永徳にかかせている。が、永徳の絵はほとんど滅し、現存するものは僅少である。
(美術評論家)
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