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ロダン「カレーの市民」(部分)
美の美
ヘンリ・ムアはじめ現代彫刻家の作品は、対象そのものの生命を、もっとも根源的な形でとらえようとするために、逸話的表情や身ぶりや動勢など、すべて余計なものとして切捨てている。
こうした作品を見たあとでは、ロダンの作品には余計なものがいろいろくっついているという印象をうける。 この作品にしても、その姿態はカレーの市民の英雄的行為や悲劇美の説明にもなっている。
いうまでもないことかもしれぬが、こんなに余計なものを持ちつつ、この大彫刻家は決して彫刻の真芯(ましん)を忘れていない。などというのは、ロダン当時の人々と逆の間違いをぼくたちがおかしかねないからである。
当時の多くの人々は逸話的表情や物語り的説明だけを見たが、いまでは、その表情や説明があるために、その奥にかくれている彫刻の存在感を見落す危険がありそうなのだ。つまり、この像は「カレーの市民」という名があれば、それだけで十分なのだ。
(明大教授・美術評論家)
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