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ブランクーシ「蕩児」
美の美
聖像は宗教的主題をはなれたとき、芸術作品になった。聖母像、クリスト像、聖者像は、クリスト教徒でないぼく(たち)には礼拝の対象ではない。おそらく、多くのクリスト教徒にとっても。宗教の力が弱まったなどと性急な判断は下せぬが、少なくともこの点での逆行はゆるされまい。祈りがなくなったのではない。一種の無政府状態の中で、祈りに直接こたえるものを拒否する態がある。 聖像に向かって祈るのではなく、祈る心がものをかたちづくるのだ。
そんなとき、作者にとってかけねなしに、フォルムが人間と世界とを結びつける唯一のものになる。フランクーシの意味は、このフォルムをぼくたちの前に明確に提示したところにある。この作品は、ひざまずき、祈り、ゆるしをこう蕩児(とうじ)のすがたをもとにしたものかもしれない。が、もう、その主題の意味はどうでもよくなっている。というより、この単純化には、主題のもつ通有的な要素をはぎとって、フォルムそのものを彫り出そうとする欲求がある。
(美術評論家・明大助教授)
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