SOUVENIRS INTIMES
美術手帖
ルオーが普通の意味での肖像画―たとえ、わずかでもモデルに即応するところのある肖像画―を描くということは、はなはだ奇異の念をおこさせるかもしれない。たしかに、これは異例に属する。
ルオーは殆ど人物ばかり描くが、その人物はどこの誰というものではなく、イエスにせよ、娼婦、道化、罪人にせよ、また裁判官や俗物にせよ、すべて彼の心像の明証であって、ルオーの描く人物は実際にはどこにも存在しない。よくいわれることだが、「時空を超えた画家」であり、「見る画家でなく存在する画家」である。美術史家が歴史的な位置づけに困惑するような、こういう画家は、少しでもモデルに即応し、一見誰と分る肖像画は描けぬように思われるし、また、肖像画とは全く無関係にさえ思われる。
だが、標語などにごまかされてはいけない。こゝに描かれた肖像はモデル自身よりもモデルに似ているのである。性格描写などというものではない。謙虚に対象を愛する静かな情熱が迫真性を支えるのだ。ルオーは空中楼閣をデッチあげる夢想家ではない。
ところで、 SOUVENIRS INTIMES はルオーが親しく交った人々や精神的血縁を感じて私淑した人々 ―モロー、プロワ、 ボードレール、セザンヌ、 ルノワール、 ドーミエ、ユイスマンス、ドガーについて語った文章で、一九二六年にまとまって初版が出た。(邦訳に武者小路実光訳「我が回想」がある)画を描く以外に表現方法をもたぬかに見えるこの画家の、底知れぬ魂の、その決定的な突面だけが彫琢された底光りする文章である。丁度このころはルオーが版画に没頭していた時期で、書中に肖像版画が数葉挿入されているが、今度そのオリジ十ナルが招来された。
この書はルオーがシュアレスにむかって師のモローを弁護する評論が全巻のなかばをしめ、これに対するシュアレスとルオーとの住復書簡が序文になっている。
モローは細密な神秘主義的な画を描く人でセザンヌやドガなどからはかなり辛辣にからかわれているが、しかし、すぐれた教師だった。教養のある寛容な人物で、いつでも他人の苦痛や美点をみとめることができた。弟子たち各自の個性を育てるというやり方で、革新的な生徒が集ったが、モローはルオーをもっとも愛し、善意にみちた墹眼でルオーの特性の萌芽を見ぬいていた。二人の関係は師弟関係のうちもっとも美しいものの一つであり、かなり資質の異る二人だが、ルオーの、つけた精神上の影響は大きい。そして、ルオーは最初、モローの様式に信従することから画を覚えたといっても過言ではない。
このモロー論はシュアレスにモローについての考え方をかえさせたが、同時に、 これはそのまゝルオー自身を語ることになっている。モローをダシにつかったわけではない。結果においてそうなったにせよ、ルオーの意識するのは一点一劃あやまりのない弁護でありかっ、讃美である。
とはいえ、彼はいうー
「自分の愛するものについて語るのはむずかしいものだ。相手の思想を貧弱にしたり、その性質を悪くしたり、要するにそれを裏切りはせぬかとおそれる。ことに自分の愛するものと見くらべて、自分の貧相なことや弱点を感じる光栄を有するならば。」
愛憎の表現のむすかしさー殊に讃美のむずかしさを身にしみて感じる本格的に謙譲な節度をわきまえた誠実な態度である。このモロー論はルオーがシュアレスに初めて会ってから二十年間もルオーの心の中にひめられ育てられた文章である だからこそ、 ルオーはついに、「なるべくG・モローに話をさせよう」と決意している。
讃美とは結局その人物自身の言葉を、なしうるかぎりあやまりなく選び、正確に伝えるほか手がなくなるのだが、 それにもかゝわらずーいや、それだからこそーその止確さに比例して、ルオーの意識を裏切ってルオー自身が語られる。
この点をもっとつきつめれは、ルオーかイエスを描く秘密の一端にふれると思われるカが、これらの親しい肖像にも、この辺の 情がくみとれる。何の感傷にもゆがめられることなく、現実を適確にみつめ、自分の感情に不正の入りこむ余地を与えずに、現実に迫っていく気魄が、彼の描く神秘を定着する。
モローの死んだ一八九八年から数年間はルオーがもっとも苦闘した時期だが、そのころ、プロワやユイスマンスなどのカトリック作家と知りあったことは、ルオーが罪悪と堕落と汚辱との最低限を通じてイエスの心像にいたるまでの経歴に大きな位置をしめる。
ことにプロワへの友情は激しく、その作品にあらわれる罪悪、贖罪、愛、救いに関する思想がルオーに与えた力は大きい。 ュイスマンスは一種のつめたさによって俗塵のうちにあって孤高を持してゆける生理学をこゝろえていて、サロン・ドートンヌの結成もその示唆に負うところ大きいが、プロワはその純粋性と情熱のために世俗に泥まみれになって孤高を持することができず、この「老いたる獅子」は社会に対して激しい痛罵を放ったためにカート-リック教徒からも自由思想家からも認められず、強烈な反対にあって、悲惨な生涯を送った。
ボードレールについてはいまさら言うまでもあるまい。ルオーがボードレールによびかけて、「苦悩の流れをさかのばるには、精神的な兄弟の愛のある微笑で充分だったろう」といったとき、深い血縁を感じていたのである。イエスを標点として全人類の連帯を求め、全人類のつくった全歴史をそのまゝ正しいと認めるとき、たぶん、この兄弟としての愛の徹笑がその連帯を結ぶ鍵であった。