訪問 藤井太郎
美術手帖
先だって、春陽会の会場で藤井令太郎の画を見ていたら、こんな言葉が耳にはいったー
「この人の家には、イスが家中ごろごろヤタラにあるんじゃないかね」
ぼくはギョッとした。同時に、おもしろいことを考えつく人もいるものだと感心もし、自分の想像力の貧寒を痛感した。イスばかりかいているからといって、すぐさま家中イスだらけと考えるのは、いかにも私小説鑑賞の伝統的発想だ、などと笑ってはいられない。だいいち、家中、イスだらけ、とは、気味の悪いことおびただしい。
それで、ぼくも、貧弱な想像力をシゲキされて、こんなふうに妄想した――アトリエやら廊下やら座敷やら台所やらナヤやら、要するに、どこもかしこもイスばかり、――しかも、そのイスたるや近代的デザインのではない、古色ソウゼンたるイスである。これが、立ったり、横になったり、こわれたり、おどったり・・・・・・おどりだすのは人がねしずまった夜にきまっている。夜ヨナカ、人の気配が目に見えなくなると、ひるまは人間のしりにしかれていたイスが人間の気配をすいこんで、うごきだし、対話をかわす。ひるまの人間の動きや会話は、いまの世の中では、コンチワ、サヨナラのアイサッやら、社交的な笑いやら、機械的な常套ばかり。だから、人間の人間たるところは、しりからぬけて、いつのまにか椅子がすっかり頂戴するというシクミになる。 夜半に、その人間の端が原初に生きかえって、対話し、うごき·・・・・・・だから、ドラマになってゆく。
そういえば、このごろのイスの画には、そんなドラマがある。みんな室の隅のようなところがかかれていて、閉鎖し、舞台のすみみたいでもあり、また、何となく、夜の閉鎖みたいでもある。
だが、実際に訪ねていったら、冗談ではない、イスは一つもないのである。つまり、イスはこの家にはぜである。・・・・・・(あたりまえである、バケモノ じゃあるまいし。)
いや、あるといえば、たった一つイスらしきもの(イスではない)があるそうだ。昨年布をかけたイスをかくのに、実際の布のあり方が分らぬので、イスの模型をつくったというのである。これが、この家の唯一のイスである。が、どこかにほうりこんであるというわけで、ほくはついにこのバケモノを見なかった。
はなしをはじめからはじめよう。実は、藤井さんを訪問するのははじめてである。御本人と会うのもはじめてみたいなものである。というのは、二、三度会うには会っているが、いずれも、展覧会場で紹介され、ほんの、二、三分アイサツをかわしただけである。
ジェスィットの幹部は、子供のころから、他人の表情をレイテツに見、相手の心の動きをよみとる術をまなぶのだそうだ。どんなことがあっても、こちらは喜怒哀楽をあらわさず、相手の心を読み、身の危急存亡のときでも冷静を失わず、適切に対処する・・・・・・つまり、ケンボウ術数の極意をきわめるわけだ。ものの本によると、ロベスピエールを断頭台にかけたのは、このジェスィットの策略だという。たぶん、神という観念があると、どんな陰謀でもゆるされるらしい。だが、残念ながら、神などという観念はもとより、バケモノを想像する能力もないぼくには、二、三分のアイサツで相手の人がらを見透すなどと大それたことはできない。
分ったことといえば、堂々たる体格と、それにふさわしいツラガマエであり、それにもかかわらず、言葉少く、たまに話せば、たいへん、丁寧な言葉づかいだということくらいなものである。はじめ、あまり丁寧なので、実は少々インギン無礼かな、と思ったくらいだ。が、話が少しばかり絵のことにふれると、とたんに、はずかしそうに伏目になる。羞恥をあらわしたいい顔である。この人の絵に知性的なものを感じるのも当然に思われる。
と、この程度の予備知識で、ぼくは、とにかくはじめて訪問した。はじめ、ガランとした座敷に通された。イスの画が二点おいてある。(これはかけてあるのではなく、文字通り、おいてあるのだ。)一昨年と昨年の作品で、この辺からぼくは藤井さんの絵を見ている。これより以前はまったく知らなかった。
イスは三年ほど前から描きはじめたということだ。描きはじめると、それに夢中になり、ほかのモチーフはほとんどかいていないという。
「どうして、イスをモチーフにするのですか?」とヤボな質問をする。
「人間をネガティヴなかたちで表現したいからです。イスには人間の気配があると思うのです。」
さてこそ、バケモノが出てくるかなと思って、
「それにしても、室の隅のようなところがありますね。前にも描いたことがあるのですか、どうも、そこらあたりが気になるのです。どうしてでしょうね・・・・・・どうして、ああいう風にかくのですか?」
「イスのある場所の説明にもなりますし、それに、やはり、構成上ああなってしまうのです。」
ところで、イスが一つもないので、どこでイスのモチーフをみつけるのかたずねると、街を歩いて、家具屋だの、どこかの家のイスだの、イスなら何でも目につくのだそうだ。
イスの話はひとまず、その程度にして、以前の画を見せてもらう。あまりないのですが、といって、風景二点、裸婦二点を見せてくれた。風景は戦争中にかいたものという。暗い調子である。色がないのです、という。が、トーンで統一した絵である。おそらく、戦争中の、なにものかへの抵抗が、忍従なかたちをとって、じーんと沈潜しているように思えた。裸婦は戦後のもの。イスの直前だという。これはいくらか色が出ていて、量感をもとめているようだ。
つぎに、はじめてかいたというイスの絵を見せてくれる。これはどうもスクんでいる。風景のトーンや裸婦のヴォリュームから見ると、そして、最近のイスから見ると、イシュクしている。あたらしいモチーフを求めると、こんなにも腕がいうことをきかなくなるものか?
そこで、話題をかえて、近代画家でだれに傾倒するかたずねると、即座にセザンヌという。セザンヌの威厳とか厳粛さとか、あれほど大きいと、圧倒されるばかりで、どこにひかれるなどと明瞭にはいいかねるという。
セザンヌで思いだした。 セザンヌがモチーフをさがしにゆく、といったときのモチーフの意味である。
モチーフを新しくもとめるということは、描く対象が変るというだけのことなら、話は簡単だが、モチーフがちがうとは、描くという意識も態度もちがうことなのだ。これは、その後のイスを見れば当然うなずけるわけだ。風景や裸婦は人間の存在理由をそのまま見つけようとしているのに対して、イスは、人間の不在を証明しつつ、人間の存在を表現しようとする一種の逆手をつかっているらしい。
なるほど、これだけ意識がちがえば、最初の手がかりはむずかしいわけだ、アトリエに通してもらう。絵具、カンバス、筆などがちらかっているのはあたりまえである。そのほかに目についたのは、出窓においてある、白ちゃけた褐色のトゲトゲしたイボのある、えたいのしれぬシロモノだ。タラバガニのコウラだという。つまり残骸である。まことに、無気味なものだ。
「これはずいぶんグロテスクなものですね。こういうものをかいたことがあるのですか。」
「戦争前にかいたことがあるのです。」といって立上り、タラバガニをモチーフにした画を取り出してくる。このオリジナルは戦争中疎開するとき、ふんしつしたので、思い出しながら、あらためて、描いたのだそうである。それだけ、執着も愛着も強いわけだ。
「こういうグロテスクなものに興味をひかれるのですか」
「さあ、グロテスクでしょうか?・・・・・・でも、こういうものに人間の本能的なものがあると思うのです。」
このカニの前には、ドルメンをモチーフにしていたといって、ジャン三、四回展ころ、つまり、いまから十四、五年前の作品の写真を見せてくれる。これは、シュールレアリスム、未来派、形而上派などを思わせる作風である。学校を出たばかりのころのものだろう。ドルメンという原始太古の民族の生命の象徴をあつかったのは、いま、現代のイスに吸収された人間の気配をかいていることと通じているようだ。
とにかく、ぼくは、現在、イスをかいている系譜がだんだん分るような気がしてきた。
紙数がつきたので、訪問記をおわるが、ぼくが見せてもらったのは、年代順には、丁度逆の順序であった。帰途、ぼくはその順を頭の中で、もう一度逆におきなおしてみた。そして、わかれぎわに、やはり、伏目がちに羞恥をうかべた藤井さんの顔を思いうかべた。羞恥心が夜のドラマを演じさせるのかもしれない、と思ったとき、やっと、イスの絵の室の隅の閉鎖する心理的な原因の一端がつかめたような気がした。
この人の絵に、知性的なひらめきのあるのも、この羞恥心のためだろう。知性を支えるものは知識ではなく、羞恥心である・・・・・・だが、おもいきって、この羞恥心をやぶって、ドラマを白昼に出してもらえぬものか?室の隅がある間は、つまり、この隅がやぶれぬ間は、ドラマの中に、物語り的な説明が入っているのではあるまいか?
藤井令太郎氏略歴
一九一三年 長野生
一九三七年 帝国美術学校卒
在学中、同志とJAN結成
一九五三年 春陽会初出品、会賞を受く
一九五四年 春陽会々員
武蔵野美術学校教授