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確証の旅─ボッシュを巡って

芸術新潮

 ガン(ゲント)の美術館で、ヤン・ファン・アイクのおもしろい展示については、前号でちょっとふれた。これは偶然だった。が、それから、ぼくは待望していたボッシュの「十字架を運ぶキリスト」と「祈る聖イエロニムス」とを見ることになった。
 結果を先にいってしまうと、ぼくは、「十字架を運ぶキリスト」にこれまで見てきた、いくつかのボッシュの作品のキー・ワークを見たような印象をうけた。キー・ワークという言葉があるかどうか知らぬが、キー・ワードとか、キー・ストーンという言葉がある以上、さういってもいいように思った。
 ルーヴルの「愚者の舟」、サン・ジェルマン・アン・レイの美術館にある「手品師」、ミュンヘンの「地獄図」、ロンドンの「嘲弄されるキリスト」・・・・・・こうした作品は、もう何年も前から、たびたび、いろいろな意味で感銘をうけた作品だし、先日はブリュッセルにある初期の作「磔刑」、そして、十数日前にマドリードのプラードにある有名すぎるほど有名な大作の何点かを見てきたばかりである。
 実は、七〇年のヨーロッパ旅行の主要な目的の一つは、ネーデルランドの美術、ことに、ファン・アイク、ボッシュ、ブリューゲル、それにフェルメールの系譜をたどることだった。

   不協和音の整合
 ガンの「十字架を運ぶキリスト」は、悪魔のあらゆる様相をもつ顔、顔、顔・・・・・・まるで仮面をかぶったかのような、それとも、通常ぼくたちの見なれている顔が仮面なので、それをはずしたら、こうなるのか。 十字架を運ぶキリストと、その左下にかかれたヴェロニカ・・・・・・これさえ、ある意味では仮面なのかもしれない。
 キリスト教の一つ一つの物語や、それにまつわる説話を知らぬぼくには、イエスとヴェロニカの象徴以外、誰が誰なのやら、さっぱり知らぬ。おそらく、ユダヤのラビ、パリサイ人もいるだろうし、死刑執行人もいるだろう。愚鈍なるがゆえに、感情の伝染におかされた弱者たちもいるだろう。が、そうした物語的要素は、いまのところ、どうでもいいことだろう。フランドルをふくめて、ネーデルランドの逸話やことわざは多すぎて、いちいち、あてはめることはできないそうだし・・・・・・
 絵画として、まず最も重要なことは、この暗い闇の中にうかぶ、こんなにも多くの顔の交錯にもかかわらず、画面の色がまったく美しいことだ。凡庸な画家ならば色が混濁してしまうし、支離滅裂になってしまうだろうような顔、顔、顔の重なりが、見事に整合されている。ボッシュが演劇に関係していたという伝説は、この仮面の様相や、その配列の方法からも逆に推定されるかもしれない。
 見るものも、この群衆の動きに入っていってしまう。「我は死刑囚にして、死刑執行人」と誰かもいった。この混沌に身をおいて、みずからそれにかかわった情熱を、ある暗い静寂がしずかに落ちつかせるときもあれば、いきなり、それが一変して、悪魔的なささやきとなって心の深部をかき乱すこともある。この画面の個々の部分は、凄まじく変化しているのに、全体は、不思議に静かである。
「凡庸な画家なら・・・・・・」といまいったが、普通大画家といわれている画家でも、これほど混沌とした画面を構成する場合、どこか色に甘さがでるものだ、ということは、もうくりかえさなくてもよかろうが、ただ、ボッシュは、その後ブリューゲルあたりまで、ネーデルランドの一画派に大きな影響を与えていたと思われるし、悪魔的な絵はその間ずいぶんかかれている。が、この画派の特徴の一つは、悪魔がうまくかかれているのに、聖者やキリストが類型的になってしまっていることなのだ。
 ポリフォニーで訓練された感覚がヤン・ファン・アイクにはあるだろう、と前にいったが、おそらく、同じことが、ボッシュのこの作品についてもいえるだろう。まるで、無気味な不協和音ばかりで構成されたような作品だが、そう思うのは、ピアノの発明による十二分割の音階になれてしまったからだろうか?音楽の約束事をまったく知らぬぼくには、勝手な想像しか許されないが、たぶん、このポリフォニーは、ピタゴラスによる音階なのだろう。(ピアノの発明と、その十二等分の音階とは、ずっと後のことなのだから、あたり前のことだ、などとまぜっかえしてはいけない。あくまでも、感覚上の比喩なのだから)

 キー・ワークといったのは、何もこの作品だけが傑作という意味でないのはもちろんである。ボッシュという存在の謎を、謎のままに、ひらく手がかりとしての可能性をふくんでいる、という意味にとってもらいたい。
 はじめにかえろう──
 ぼくがはじめて見たボッシュの作品は「愚者の舟」であった。いまでは、ぼくたちの間では、「きちがい舟」で通っていると、前にいった記憶があるが、実際は、やはり題名は「患者の舟」の方がいい。ここにかかれた人物はきちがいではなく、愚鈍な人間なのだから。人間は怠惰であるかぎり、すべて愚鈍である。こういう愚鈍はあらゆる罪の根源である。
「愚者の舟」の一応のアレゴリは、見ればすぐ分る。もともと、「愚者の舟」という通俗的な風刺的教訓書から主題がとられたものだという。この世は愚かな人びとにみち、彼らは生涯を、楽しい旅に出るように舟に乗り、舟のおもむくまま、地上における自分たちの行為を神がさばく日にそなえていない。しかも、彼らの狂おしいたのしみにもかかわらず、彼らは少しも幸福そうに見えない。どん欲に大食いし、大酒をのみ、争っているうちに、舟はただよって危険な水にむかってゆく。この旅は決していい結果におわらない。
 これだけの寓意なら、別になんということもあるまい。たしかに、通俗的である。が、この人物像の気まぐれな身ぶりと、きちがいじみた興奮とは、のちの地獄図、あるいは、ヤン・ファン・アイクのかいた「最後の審判」の地獄の場景に共通した凄まじさがある。と、同時に、この絵の背景のやわらかな調子はヤンに通じるものであろう。
 これは、陋劣なものをコッケイな位置におき、皮肉って、自分の心情を慰めるなどというナマやさしいことではあるまい。この地獄はある常套によって、人間自体が知らず識らずつくり出す地獄である。常套的に堕落した寓意の教訓的な意味を、この作品は同じ題材を用いて、人間存在そのものにかかわるものに正している。

   「手品師」をみに・・・・・・
 一九六一年のノートを見ると、
 「七月七日金
 一時 前田氏来訪、ホテルで昼食。
 二時三〇分 田淵氏来訪。
 田淵氏の車で、三人でサン・ジェルマン・アン・レイに行く。
 古代博物館、ついで、美術館。
 古代博物館では原始とガロ・ロマンがおもしろい。
 美術館にボッシュ「手品師」
 ヴェルサイユをまわって、田淵氏の家で夕食。芸術論
 で時がすぎ、一時、ホテルに帰る。」
 ぼくがはじめて、サン・ジェルマン・アン・レイに行った日である。
 前田氏とは、第一回国際青年展で大賞をうけ、バリに留学して三年ほどになっていた前田常作氏、田淵氏とはいうまでもなく田淵安一氏である。
 はっきり憶えていないが、たぶん田淵氏の提案で、どこか郊外に行こうということになった。ぼくははじめてのことなので、いずれにせよ、あなたまかせである。
 サン・ジェルマン・アン・レイは街そのものが、むかしながらのおもかげをもっている。(もっともヨーロッパで、ぼくの訪れた小都市はたいていそうだが。)
古代博物館は御承知の通り、城の内部を多少改造したもので、これをとりまく空堀には、この地方の原始時代の 石窟がおいてある。内にある原始時代の調度品、ガロ・ロマンのガラスの壺の大コレクションがおもしろかったが、もう一つ驚いたのは中世に使われた数々の鍵のコレクションだった。さまざまな鍵、頑丈で大きなもの、ぶこつでぶっきらぼうなもの、小さくて繊細に見えながら、まったく複雑な仕組みのもの、そうしたものにヨーロッパ人の執念みたいなものが感じられ、鍵の生活の凄まじさにドキッとしたこともたしかである。
 この博物館の前の廣場で、コーヒーを飲んでから、美術館に入った。
 ボッシュの「手品師」にまっすぐ向い、それだけを見て出た。たしか、もう時間がなかったからだろう。
この作品に、普通、それとすぐ分る風刺、アレゴリを読むととはたやすいが、ぼくには、これが、本当のファルスだと思えた。それにしても、なんと静かなファルスだろう。このファルスがなければ、本格的な喜劇も悲劇も生れてこない。あの鍵に感じられたヨーロッパ人の凄まじい執念──所有欲、秘密、権力欲、他人への猜疑心等々、数えあげればキリがない──をこの静かなファルスでとりとめてしまったかのようだ。
こんなアレゴリは客観的な態度をとらねば不可能だ、とは誰でも知っているが、しかし、「客観的」という言葉自体が、かなり複雑な意味をもっている。
 客観的に事物やその諸関係を見るとは、むろん、傍観者になることではない。
「外部によって内部を規制せよ」とは、あらゆる内部、外部が人間を圧倒し、混迷のはてに、内部の情念、思考、行動を、外部の諸事物の動きに分散させ、それによって、人間の存在をようやくとりとめたユマニストの必死の言葉である。
 この意味での客観的な見方については、もう大分前に述べたことがあるので、ここでは詳しくはふれまい。ただ、「罪の咬傷」をうけてしまった人間がみずから神の前の罪人(つみびと)と認め、あらゆるものを無意味なままで愛することがなぜできぬか、という問いかけから、この客観的な見方がはじまるにちがいない。意味を──たとえそれがアレゴリであったにせよ──とりちがえまいとする臆した要心なしに、事物の生を愛することがなぜできないか?あらゆる観念は両刃の剣である。観念は幾多の正しさの可能性にとりまかれて立往生する。が、人間的現実は、観念の追いこまれた袋小路の上にあらわれる。そこでは、人間は生きるべき真実を求める観念のうちや、また、おのれ自身のうちに、見出そうとする焦慮を捨てねばなるまい。肯定も否定もあらわにせず、あらゆるさばきをそのうちにこめた問いかけを試みるより仕方があるまい。真実とはどこかに固定して存在するものではあるまい。神の世界と現世とが、前に述べたように、ある切断によって、開かれた世界と閉じられた世界に、分けられつつ、同時的に存在し、持続している以上。人間の真実はいつも動揺してやまぬ不安定な問いかけによってかろうじて保たれる可能性があるにすぎまい。少なくとも人間が生きるべき真実の存在をあらわに口にすべきではなく、確固たるものが何一つなくなったことを認めねばならぬとき、それでもなお真実を求めずにいられぬとすれば、信と不信との間にたえず動揺している不安な問いかけにおのれの真実を賭けるより仕方があるまい。
「我考う、そこに我がある」とは、簡単にいえばこうし追求のはてに出た、おそるべき、客観的な言葉であろう。
 多くの画家──ぼくはすぐれた画家についていっているのだが──は、かならずしもその全存在を形象するという行為にかけてはいない。なるほど、画家はみずから表象した作品によって表象されるもので、それ以外の何ものでもない、といってよかろう。が、それゆえに、絵画という仮構の造形によって、形象するという行為が救われ、完成された作品の背後に自己の主体が開放される。が、表象される作品によって、自己が表象されるかもしれぬ可能性を心得ている画家には、舞台裏がない。絵をかくという行為の背後に自分のいるべき場所をとっておかないものだ。
 こういう客観的な態度をとることのできる人物は、人間の、そして、世界の深淵を見てしまった人物。そして、これからも、それに深いかかわりをもつ人物であり、そうした人によってはじめて可能なわざなのである。
深淵を見て見ぬふりをするか、あるいは、見て見ぬふりさえしない人々の多い中で、このファルスを創造できることは、この意味での客観的な見方のできる人物にして、はじめて可能なのだろう。 コンヴェンショナルな宗教的題材に陥るまいとする欲求、そのために、「時には健全な均衡を保つために自分を嘲笑しなければなるまい。」(ルオー)

 ヴェルサイユを通るときは、もう日暮だったし、別に、この宮殿を見る気もないので、そのまま素通りして田淵氏の家に着いた。パリ郊外の素朴な田舎屋で、なるほど、十年もフランスにいれば、こういうところに住むのがいい、と思った。この夕、さまざまな芸術上の考えを話しあったが、ことに、ヨーロッパと東洋、日本のあり方について話した記憶がある。(ボッシュは東方神学的なもの、あるいは、東洋的なもの、そして、黒ミサに参加したという伝説があるが、意識的には、それに刺激されたわけではない。)
 この夜の話の中で、ぼくのもっともショックをうけたことは、田淵氏の奥さんの話だった。ベルギーの女性で、おだやかな、やさしみのある人だが、第二次大戦中、日本が軍国主義的独裁政権だったころ、これに抵抗して虐殺されたり、投獄されたりした、ごく少数の人々のほか、つまり、その人々が一般の大衆からかくされてしまったのちは、抵抗運動がほとんどまったくなかった、ということが、どうしても不可解だ、といった言葉である。このおだやかでやさしい女性が、 ナチの侵略に対して、また、ナチに協力したものに対して、まだロウ・ティーンの少女だったにもかかわらず、弾丸や食糧をはこんで抵抗運動に加わったという。
 ヨーロッパの人々の、この激しさと信念と執念と情熱とは、その後の何度かの遊行でやがて次第次第にぼくに分るような気がしてきたのだが、このときはじめて、直接、接したときには、理論的には分っていたものの、たしかにショッキングだった。この問題はぼく自身の問題として、いつか語る折もあろうと思うが、いまはその場ではないようだ。
(この夕は、田淵氏のアトリエは見なかったが、その後数回にわたり、田淵氏の家にまねかれ、アトリエを見ることになった。が、同氏の作品については、いまここでいう必要はあるまい。)

   悪魔ばらいの絵画世界
 ボッシュの現存する作品──そして、ぼくの見た作品──から推して、ボッシュの画風をぼくなりに考えておきたい。美術史家でないぼくには、文献はまったく知らぬといっていいし、いまのところ、それをしらべるつもりはないから、まちがっているかもしれぬことを最初にお断わりしておきたい。のみならず、ヤン・ファン・アイク以後フランドルをはじめとして北欧にすぐれた画家は多い。しかも、その多くが、十九世紀末から二十世紀のさまざまな芸術上の革命を経ることによって、あらためて発掘され、再発見されているので、デューラーを例外として、ほとんどの作家が伝記をたどれない。
 もっとも、ボッシュが十九世紀末に発掘されたのは、いわゆる世紀末の悪魔趣味からだろう。本格的に超一流の画家として再発見されるようになったのは一九二〇年代から三〇年代で、現在、いよいよ、その機運は盛んである。
 はじめは、おそらく超現実派の作家たちが目をつけた。超現実主義の「超」は現実を超えるという意味でなく、超スピードなどというときに使う「超」の意味で、最も現実的なものということだ、という意見がある。すぐれた超現実派の作家については、ぼくも同感である。が、ボッシュは、超現実的というよりむしろ、超自然的な画家である。つまり、ふだんは隠されているもっとも自然なものを追求した画家だということである。ボッシュのあらわしたものは「逆宇宙」だという通説があるが、おそらく、それは言葉のアヤというものであろう。が、そうでもいわなければ、賛辞を呈することのできなかった人々の正しさを、ぼくは信頼している。ぼく自身プラードにある「快楽の園」の美しいマティエールをどういっていいか分らぬからだ。
 ボッシュは南オランダのスペルトヘンボッシュに生れ、そこで死んだと伝えられる。時代は、ブルゴーニュ公、シャルル・ル・テメレールの統治下である。父のフィリップ・ル・ボンの支配下で、とにもかくにも、一時的な平和と隆盛を保った時代とちがって、混乱に混乱を重ねた時代である。シャルルの惨敗後、スペイン、ドイツ・オーストリアの両ハプスブルグ家の圧制をうけることになる。だからこそ、身をもって、それに抵抗し、あの「客観的」態度をとることになる。話が横道にそれるかもしれぬが、ぼくは、ずっと以前、ルオーについて、こんな風にかいたことがある
「マルローのいうように、ルオーのかく人物は通常見なれた人間的存在ではなく、人間がおのれを解放する手段としての記号であり、いわば悪魔ばらいのようなものだ。が、それは非現実ということではない。日常ぼくたちの現実のとらえ方とは全く別の、全く新しい──と同時に、もっと古くからある──現実の把握法であって、シュアレスもいうように、ルオーのかくものはすべてありのままのすがたである。ルオー自身とういっている、──『ルノワールやドガを満足させた現実に面とむかって、ぼくは超現実派のように一つの極めて美しい現実が存在するといおう。だが、それは暗室の中で、つねに大自然をさかさまに見る現実ではない。』それは視覚的な真実と、もっとも敏感な感情によってとらえられた現実的な存在との精妙な結合であって、いわば、永劫の人間苦というかたちを通して、過去、現在、未来をこの一瞬につかみ、複雑多様な生の根源を一つかみにしようとする、もっとも大胆な試みである・・・・・・」
 いまのぼくなら、また別の言葉を使うにちがいない。(ことにルノワールの晩年については当時ルオーがいった言葉とは別の言葉をつかう)が、本質的には、そうちがいはしないだろうし、おそらく、この文章は、ボッシュの絵画を理解する一つの手がかりになると思われる。ボッシュとルオーとの共通点と相違点とをできるかぎりはっきり認めた上で。ことに、ボッシュがかくものは、ユマニストとして、また同時に、神を信ずるものとして、人間が人間として解放するための記号または象徴であり、いわば悪魔ばらいするようなものだからだ。
 悪魔ばらい的な力──それはヤン・ファン・アイクに最高のすがたであらわれている。ボッシュはその最も正当な継承者である、といったら唐突だろうか。ある意味では唐突であろう。ヤンによって隆盛になったフランドル絵画は突然変異ではなく、それなりの必然性がある以上、これにつづく多くの画家のいるのは当然である。 ロジェ・ファン・デル・ワイデンから、ハンス・メムリンクにいたるまで、巨匠といってよかろう。
 ボッシュはヤンから百年余りのちになって活躍することになるが、外見上の極端な相違にもかかわらず、ワイデンその他よりもファン・アイクに近いと思われる。 ヤンの静謐な画面にかくされたえたいの知れぬ無気味なもの、ボッシュの、一見混沌とした作品をつつむ、マティエールの静寂さ。ファン・アイクはもともと悪魔的な力を誰よりも知っていたからこそ、それを画面の底深く秘した。 ボッシュはそれをもう一度、あからさまに出すととによって、悪魔ばらいしているのである。

 話のこしを折るかもしれぬが、ぼくがマドリードへ行ったのは、ようやく一九七〇年になってからである。それまで、何度かさそわれたが、スペインに入ることを躊躇した。
 戦前のことである。当時のまた聞きだから、明瞭ではないが、そのころ、アンドレ・ジィドが日本でよく読まれ、フランスの良心といわれていたころである。日本のフランス文学者たちが中心になって、ジィドを招待しようとしたところ、フランスと日本とでは政体がちがうから、といって断わられた。日本が軍事優先の時代だからといって、リベラリストがまだ少数ながらいたときなのに、いくらフランスの良心といわれたジィドにしてもずいぶん頑固なものだと思ったことがある。
 が、さて、六一年、六三年と自分が今度はヨーロッパにいたとき、スペインに入る気がしなくなった。プラードでボッシュ、ベラスケスは見たいし、バルセロナではガウディの建築とカタロニア美術館とは見たいと、はじめから思っていたものの、独裁政治の行われている国には、なんとしても入る気がしなかったものである。自分としても不思議なくらいだ。
 ぼくはもともと現実の政治は、たとえどんなものにしても嫌いである。逆にまぜかえしていえば、それならそれで、どんな政権政体の国であろうと、入ってもよさそうなものだが、そう単純にいかぬところに、人間の心理や生理のアヤがあるのだろう。
 それに、いま一つ思うのだが、おそらく、ぼくの潜在意識の中に、若いころ見たドキュメント映画があったのだろう。スペイン内乱の折、フランコ側からとった、当時実写(‘‘)映画と呼ばれていたドキュメンタリなニュース映画である。カスティリアとカタロニアとが歴史的に、つねに抗争関係にあったにしても、フランコ政権に対して最後まで抵抗したのはバルセロナに集まったカタロニアの人々だった。との人々が最期に立てこもった丘で、弾丸にあたってバタバタと倒れる壮絶な戦い・・・・・・人が、弾丸にあたって、あっという間に死ぬ実写映画を見たのは、これがはじめてだった。
(もちろん、第二次大戦中、日本が空襲され、無抵抗な人々が、目の前で死に、──実際ぼくと一尺くらいのところにいた人が、爆弾の破片をうけて死んだ──、爆撃の中をくぐって、黒こげになった死体、まだ半死半生のおそらくは助からぬ人々を何回も見てしまったあとでは、スペイン内乱のドキュメント映画は、その序曲のほんのわずかな部分にすぎぬかもしれぬが・・・・・・それでも、最初のショックとして、いまだに、はっきり覚えている。)
 だが、ボッシュを見るには、なんとしてもブラードに行かぬわけにはいかぬ。ぼくは九年間のヤセ我慢の我を折って、ようやく、「快楽の園」を見ることになった。
(もちろん、ベラスケスも。)
 ぼくは、いま、この作品について、どういっていいのか、分らない、というのが正直なところだろう。
ものすごい群像と、怪奇なものとの執拗にいりみだれた、地獄図といえば、地獄図、敬虔といえば敬虔、 異端といえば異端的な逸楽、・・・・・・卵型や枯れ枝は錬金術士の象徴だそうだし、ここには、ネーデルランドのさまざまなことわざが無数に入っている、という。それが、あまりいりくんでいるので、専門家でも、そのことわざの一つ一つを見きわめることはできない、ということである。
 ただ、このいり乱れた群像と夢の世界でどこかで見たかのような怪奇なものとが、一つ一つ、丹念に独立していながら、そして、たがいに自己を主張し、互いに牽制しながら、その力関係に乱れがなく、全体のマティエールが、あるエーテルにつつまれたかのように統合され、美しい諧調を生み出している。まるで、悪魔ばらいの儀式のようだ。
 この作品をはじめ、ボッシュの作品の多くが、カトリック・スペインのフェリペ二世のコレクションに入っていることは、そのまま、この時代を象徴する一事件のように思われたが、それにはいまはふれまい。無脊椎スペインの圧制と、ルネサンスから宗教改革にいたる時期のさまざまなととろに見られるエネルギーの爆発とは、一方に、悪魔的破壊力をもって、社会の諸々の型態に「羨望、悲惨、淫乱、苦痛を取りかえしえぬまでに伝染してしまった。」 しかも、この悪魔的破壊力は、さまざまな呪術を用い、つねに現世的な力、政治的、経済的、軍事的あるいは世俗化された宗教的な権力をうしろだてにしていた。だから、これに対する悪魔ばらいとは単なる呪術ではない。悪魔的破壊力に抵抗する人間の宣言である。ちょうど、オイディプスが舞台裏のない人間を呈示することによってスフィンクスの呪文をうちやぶったように。
 のみならず、ボッシュにとっては、圧制者の側にのみ悪魔があったわけではない。被圧制者の側にも、それなりの悪魔的要素のあることを痛感していた。支配──被支配、圧制──被圧制という政治的なからくりの、その底に、もっと深い人間悪を見ていた。
 もっとも神聖なものともっとも俗悪なもの──悲劇的なものと喜劇的ないしファルス的なもの、静澄なほがらかさと低劣にどろどろしているもの、こうした両極端がある不思議なあり方で同居している。
 ぼくはボッシュが黒ミサに参加した、という説に賛成も否定もする気にはならない。さかのぼって、ヤン・ファン・アイクが黒ミサのさまざまな様相を知らなかったとはいえまい。セキュラライズされたキリスト教に対して、最高のかたちでセントラリゼイションを行なった以上、セキュラライズされたキリスト教の裏がえしとしての黒ミサを知らなかったわけはあるまい。ボッシュがヤンの正統な継承者なら、何らかの意味で、黒ミサにかかわりのあったことは当然であろう。とのかかわりが、参加を意味するかどうかは、なんともいえない。
「快楽の園」は、いわば虚数の世界かもしれない。もっともおそろしい深淵を見てしまったものが、夢の世界の美しさを知っている。この悪魔ばらいをなしうる「残酷の天才」はもっともやさしみのある心の持主にちがいない。
 ボッシュについては、実は、もっと多くのことが語りたかった。南ドイツ的な怪奇性、東方神学、東洋的感覚など・・・・・・が・・・・・・
 申しわけないが、いま極端に時間がない。
 いずれ稿をあらためて書く機会があれば、書くつもりである。

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