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確証の旅─フェルメールを巡って

芸術新潮

   戦慄的なおそろしさ
 フェルメールは危険な画家だ、あまりに完結された完璧性の中に自足しているゆえに・・・・・・ぼくは、いまのところ、そんな気がしてならない。
 現存する作品中、フェルメールの作と認承されているのは三十五点あるそうだが、ぼくはそのうち、数えて見たら十九点しか見ていないし、それが、すべてそうだとはいわぬが、この画家の極めてすぐれた作品の色彩には、すいこまれてしまう。まるで呪縛にかかったかのように。
 一方では、賛美を捧げ、他方では、残念ながらと断わりつつ、超一流の画家というより仕方のない状態・・・・・・この不思議な画家について、ぼくは一種のディレンマにおちいっているらしい。ディレンマというより、問いそのものが方向を見失ってしまっているのかもしれぬ。
 いつごろから、こんな感慨をもつようになったのか、正確には分らぬが、つい、最近になってからのことにちがいない。そして、そのきっかけになった一つは、たぶん、一九七〇年初秋アムステルダムで「青衣の女」を見たときの異常な印象だろう。この美しい作品を文字通り鑑賞しているうちに、左手前におかれた椅子の、深い、透明な青に、思わず息をのむような、戦慄的なおそろしさを覚えた。
 「美はおそろしきもののはじめ」とは知りながら、何か、それまで見てきた超一流の画家の作品、そして、フェルメールに感じていたものとは、ちがうおそろしさを感じた。いうまでもあるまいが、青という色そのものにおそろしさを感じたわけではない。この作品の、この部分の青・・・・・・深い淵に立って、中にすいこまれるときのような、あるいは、突然、明るい空の青の中に出たかのような、抵抗しえない誘引力にひきずられるかのような、めくらみ、立ちくらみに似た衝撃をうけた。ぼくは思わず眼をそむけたらしい。それから、おそるおそる、いわばこわいもの見たさで、もう一度、凝視した。
 こういう一部分の色のおそろしさを、別の作品に感じないわけではない。すぐれた作品には、よくあることだが、たいていは、というより、それまではすべて、とにかく凝視するうちに、なんとか一応、その場でそのおそろしさが解消する、──というより、そういってよければ、高次なものに転換される、そうした経験が何度もあるが、「青衣の女」の場合、そういかなかった。ぼくはサスペンドしたまま、作品を離れるより仕方なかった。
むろん、それだけがきっかけだったわけではあるまい。潜在的に、こんな感慨をもつにいたる契機が、はじめからあったのかもしれない。帰国後、この大画家の、いままで賛嘆していた作品を、いつの間にか、少しずつ思い出してゆくうちに、次第に全部がオーヴァ・アップされてきたからだろう。だが、ここから話をはじめたのでは片手落ちというものだろう。
 だから、あまり急がずに、できるだけゆっくり書くことにしようが、ただ、その前に、ホイジンガーがフェルメールの特質を大変うまく要約しているので、少し長いが引用しておく。──
「ヤン・フェルメール・ファン・デルフトについてここに何を論じたらよいだろうか。かれはあらゆる学術用語を無用ならしめ、美学をしてその脈絡を失わしめるというような大画家の一人である。したがってここではできるだけ簡潔にとどめておこう。 皮相に観察すれば、フェルメールはかれの多くの画工仲間と同じように表面的な日常生活を描いたに過ぎなかった。(しかるに、)われわれの知る限り、かれは人物画においてそうした表面的日常生活を描こうとしたことはまずなかった。それはなぜであったろうか。いずれにせよ、かれが自己の絵の主題の本質を十分看破していなかったからでないことはたしかである。かれは『手紙を読む図』 『牛乳差しをかたむける図』『小船を待つ図』において、地味だが情愛のこもった心づかいをもって描いた背景の中に極めて単純な動作をする一人の人物、とりわけ婦人をおく。これらの人物はみな日常的な現実から、言葉はもはや言葉にならず、思考も形をなさぬような遥かな澄明と調和の領域へと拉し去られているように思われる。あたかも夢にみる思いがするほど、かれらの挙措は秘密をたたえているのである。リアリズムという言葉はここではまったく見当ちがいであろう。かれらはみな比類なく詩的な内容を与えられている。よく注意してみると、それらはまた決して十七世紀頃のオランダ婦人ではなく、静寂と平和に満たされた憂愁の夢想界に住む人物なのである。かれらはまた当時の衣装ではなく、空想の衣服を着ける。それは青と緑と黄の交響楽である。 フェルメールは鮮やかで生き生きとした赤をごく僅かしか使わない。・・・・・・『画架の前の画家像』さえ、その色調は強くも派手でもない。多分大胆に聞えるだろうが、私見によれば、フェルメールは最も神聖で極めて明確な出来事を描くまさにその時において、すなわち『エマオのキリスト』においてともかく期待するほど十分には描ききっていないと思われる。ここに物語られているのは福音の出来事ではない。 主題はかれの色彩感覚をここで自由に働かせるための単なるきっかけに過ぎない。フェルメールは、一般的な傾向とかけ離れた諸特質を有していたにもかかわらず、いかなる主張も理念ももたず、また言葉の厳密な意味においては特定の様式をもたなかったということによって、依然として真のオランダ画家なのである。」(栗原福也訳「レンブラントの世紀―十七世紀ネーデルランド文化の概観」)
(作品名は、翻訳者のつけたままにしたので、のちにぼくのいう場合と多少ちがうが、このままにした。なお、フェルメールといえば、ブルースト、マルローの言葉などがすぐ思い出されるはずだが、ここではふれまい。日本では、あまり話題にならぬホイジンガーの文章をわざわざ引用したのは、ナチスへの激しい抵抗をうちにひめて、十七世紀オランダの特徴的性格をとらえ、その中に、フェルメールを位置づけようとしているからである。そして、あえていえば、フェルメールの位置づけにこまっているからである。が、その辺の事情は余裕があれば、のちにふれることにしよう。なお、「エマオのキリスト」が、いまでは有名すぎるほど有名になった贋作であることは周知のことだが、ホイジンガーのとの論文の出たころは、真作とされていたし、その後も長いこと、真贋をめぐってあらそわれたことも周知であろう。)

   ルーヴルの一点
 はじめてルーヴルを訪れて以来、何度かこの美術館にかよっているうちに、ぼくは、いまでは、ここで絵画を見る場合、「モナ・リザ」まで、ほとんど何も見ずにむかい、そのときなりに一応の見方ができたと思ってからは、フェルメールの小品「レースを編む女」にむかうことになってしまっている。レオナルドからフェルメールまでの途中の作品は、まるで、「モナ・リザ」でうけた感銘を一応ととのえ、フェルメールにむかうための準備のため、気息をととのえるためにあるかのようなものだ。
 この慎ましい作品は「モナ・リザ」と対照的に、いつ見ても変らない。完璧な作品の一つの典型のように思われる。有名な作品だから一般的な説明は本誌の読者には必要あるまいが・・・・・・明るい壁を背に、一人の女が無心にレースを編む仕事に没頭している。顔、肩、指さき、その他すべてが、室内に入ってくる光までが、いま一本の針の先端に集中される。もっとも日常的な女の仕事の瞬間だが、作品になった以上、もうここには、日常の時間はない。日常の時間、外界の出来事は、すべて、この一人の女(‘‘‘‘)の心からも、外姿からも切り離され、いつの間にか、ひそかに永遠の時間があたりをとりかこんでしまっている。 ルノワール、この色彩画家、というより色彩の求道家(世に色彩画家などというものはいない。色彩に天分のあるものほど、色彩の追求家なのだ)が、世界中で、最も美しい絵の一つとして激賞したのも当然と思われる。
 主題は、ほとんど、問題ではあるまい。いわば、テーマは色彩のポリフォニーの口実にすぎない。この色彩の交響に少しも抜けたところがない。超一流の作品に抜けたところのないのはあたりまえだが、この場合は、同じ言葉を用いても、ちょっと意味がちがう。超一流の作家のもっとも特徴的な性格の一つは、自分では手のとどかぬものにむかい、これを完成しようとして、どうしても、完成しえぬ部分の残る個所がそのまま残ってしまう。それでいて、その未完成な部分が必然性をもって全体の中に有機的に統合され、抜けたかんじを与えぬものだ、というより、未完成ゆえに、かえって、全体がモディファイされ、整合されるものだ。 が、 フェルメールの場合は、完全に完成されているように思える。それゆえに、何かエーテルのようなものに、この空間だけがすっぼりつつまれ、自足していて、外界のいりこむ余地がない。 それを乱すまいとして、ある種の畏敬の念をもって筆をおいている。
 たしかに「言葉はもはや言葉にならず、思考も形をなさぬような遥かな澄明と調和の領域」で、「夢にみる思いがするほど、その挙措は秘密をたたえてい」て、「静寂と平和に満たされた憂愁の夢想界に住む人物」である。

   ロンドンの二点
 ロンドンのナショナル ギャラリーにある二点「エピネットの前に坐る若い女」と「エビネットの前に立つ女」は、美術史家によれば、一六七〇年以後、フェルメールが財政的に困っていたころにかかれた注文画であろう、とする説がある。あるいは、そうであろう。資料に直接あたらないぼくは、そういわれれば、それに従ってもいいし、また、少なくとも前者には、そう感じられるふしもある。が、「エビネットの前に立つ女」は、たとえそうであったにせよ、やはり、フェルメールの特徴のあるすぐれた作品と思われる。室内にいる女をかくとき、フェルメールの多くの作品は、左手の窓から光がさし、それがまず奥の壁にあたってから、室内を一めぐりし、同時に、かかれていない窓から入る光が、別にあって室内の空気を明るくする。そうした光の微妙な交錯が、 どこかで整合されている。女は窓の方をむいていて、そうした光をうけて立つ。もちろん、光といっても、いわゆる外光ではなく、色彩になった光である。が、この「エビネットの前に立つ女」はめずらしく、窓に背をむけている。もし、手っ取りばやく、金のためにかいたとすれば、手なれたやり方で、顔を窓にむけた姿でかいたかもしれない。ぼくは思うのだが、フェルメールの手腕をもってすれば、そうした構図をとれば、どうやっても、うまくいってしまうにちがいない。が、そうなったときが、画家にとって最も警戒すべき危機なのである。あえて、女を逆に立てた姿にしたことが、少なくともこの作品を救っているといったらいいのか。(むろん、それだけのことではないが。) 題名の通り、女はエビネットの前に立って、手をその方にさし出しているだけで、弾いているわけではない。日常的な動作による動きというものは、フェルメールのすぐれた作品にはまったくないものだ。なお、壁にかかった絵や、エビネットの右にある絵は、絵の中にある絵として、色によって、明確にかきわけられている。
 これもまた、日常の世界、日常の空気からは切断された時間である。

 エディンバラに一週間滞在中、スコットランド国立美術館に二度行った記憶があるが、ネームプレートを見ずに絵だけを見て、眼についた作品にしか足をとめぬ横着なぼくは、初期の作とされる「マリアとマルタの家でのキリスト」は見落してしまっているので、なんともいえない。のちに画集を見ても思い出せない。それに、この作品については、フェルメールの作かどうか、いまだに論議されているそうだし・・・・・・実は、エディンバラに一週間滞在中、その周辺の古城、それも小さなとりでといった方がいいような小さな城の廃跡に興味をひかれ、まるで、しらみつぶしのように、廃跡を見てまわったので、絵の方は、二の次になっていた。
 ニューヨークにも二度、一週間ほどずつ滞在したが、ここで見た数点のフェルメールには、あまり感銘をうけなかった。 「レースを編む女」、「エビネットの前に立つ女」(ことに前者)にうけた、感銘があったせいか、それともタイミングのせいか?だが、やはり、作品の質のせいだろうと、ぼくは強弁しておきたい。フェルメールの作品は、こんなはずではない、とぼくは何度も首をひねったり、頭をたたいたものだ。ワシントンには、いい作品があると人にもきき、画集で見ても、そう推量されたが、ワシントンには行かなかった。旅程に余裕がなかったわけではなかった。ニューヨークで、現代美術を見てまわる方が目的だったし、興味があった。また、ぼくには、完璧症、といって悪ければ完全主義的な性向がないためだろう。それに、フェルメールを見るには、いずれ、オランダに行けば、それでいいという気楽な旅がしたかったためでもあろう。

   オランダにて
 一九七〇年九月、ぼくはフェルメールを見るためにオランダを訪れた。
 パリでエール・フランスにたのんでおいたアムステルダムのホテルは、古い掘割りにそった、古い建物だったのはたのしかった。が、古い建物なのは外見上で、実は新しく営業したばかりのホテルで、内部は、改造してある。その上、おもしろいことに、着いた夜、ホテルで食事をしようとして、フロントにたずねたら、まだレストランが設けられていないという。アネックスのレストランはどこか訊ね、ホテルの前の掘割りにかかった橋を渡り、掘割りにそって百メートルほどのところにあるレストランにむかった。ホテルで訊ねたときには、すぐそばだというので、そのつもりでゆっくり、あたりの風情をたのしみながら歩いたが、なかなか、いわれた名のレストランが見あたらない。途中で、老紳士夫妻に出あったので、たしかめると、それは大変いいレストランで、ここからもうすぐだという。 夫人の方が表情豊かに、そのレストランの二階は本当に指おりのところです、という。たしかに、その通りだった。翌日から、ぼくは、ほかに誘われていないかぎり、夕刻ホテルに帰ってから、このあたりを散歩し、いったんホテルに帰って、夜は、このレストランで食事することになってしまった。
ぼくは、帰国後ホイジンガーがこういっているのを読んだ、──
「もしどこかに十七世紀の雰囲気が今日までなお保存されているとすれば、それは春の日曜日の明け方、あるいは夏の夕べの淡い光に映えるアムステルダムの掘割りにおいてだろう・・・・・・」
フェルメールを見にやって来たぼくが、夕刻この掘割りにそって、散歩するのが好きになったのは当然かもしれない。アムステルダムの繁華街や観光客めあての場所とちがって、ここは、ものさびたむかしながらのたたずまいである。近年は知らぬ、十七世紀という一世紀の間突然隆盛をむかえ、衰退した光芒のおもかげが、この掘割りに象徴的に残っている。
 だが・・・・・・というより、それだからといった方がいいか、こんなぴったりな気分でアムステルダムの国立美術館にフェルメールをたずねることは躊躇された。ぼくは、いきなり、デン・ハーグまで大沼映夫氏の車でドライブした。ちょうど、インドネシアとの関係で、デン・ハーグが緊張していた時期だったが、・・・・・・
マウリツホイスに三点がならべて展示されている。中央に、「ターバンの少女」、むかって右に「デルフト眺望」、左に「ニンフにかこまれたダイアナ」。
「ターバンの少女」、 「デルフト眺望」でぼくは、ようやくまたフェルメールに出会った。「ターバンの少女」はモデルに対して、「レースを編む女」とほとんどまったく同じ態度でかかれている。ただ、ちがうのは背景が黒褐色であることだろう。少女は画家を見ている。が、見られている画家は、やはり、じっと息をこらしたかのようにかくれている。まるで、ちょっとでも動いて姿をあらわしたら、この現実と切断された空気がみだされ、よごされるかのように。
「デルフト眺望」。 フェルメール発見の出発点になったこの作品については、多くの人々の賛辞につけ加えるととはあるまい。
 問題なのは「ニンフにかこまれたダイアナ」である。この作品がフェルメールの初期の作といわれなければ、ぼくは見落していたろう。といっても、先々でいったミラノのピエタの場合とはちがう。多くの美術史家、鑑定家がフェルメールの作としているから、おそらく初期の模索期の作としぶしぶ思うことにしているだけのことで、実際には、いまでも、ぼくは、これをフェルメールとは思いたくない。思いたくないという願望と、思わないという断定とを混同しているわけではない。聞くところによると、この作一点だけがフェルメールとして、どこかの国に出品されたことがあるというが、この作品でフェルメールを見られては困るのである。

 デン・ハーグからデルフトまでは、車ならすぐである。まわりましょうか、と大沼氏は親切にいってくれたが、やめることにした。「デルフト眺望」の場所は、絵とほとんどそっくりに残っている、と聞いていたが、作品を見てしまったあとでは躊躇せざるをえなかった。 他の目的だったのならデルフトへ行きたかったのだが。(他の目的というのは、──十七世紀オランダがヨーロッパ諸国で、もっとも先進的であったために、それだけ変則的で、各都市は、それぞれ独自なすがたをとって自立していた。 掘割り、運河、川、によって四通八達していたとはいえ、それぞれ、内部的には他におしつけることもなく、自足していた。のちにアムステルダムが大中心地になったとはいえ、アムステルダムさえ、他の諸都市をおさえつけることもなく、また、他の都市も、アムステルダムにならおうとはしなかった。現代的な意味で地方分権ということとも、ちょっとちがったニュアンスがある。この点、ホイジンガーがうまいことをいっている。政治的にも文化的にも中央政府というべき権威のない場合、地方分権とはいいがたい、と。こういう自立した都市の一つの典型として、ハーレムを見たぼくは、やはり、一時隆盛をきたしたデルフトへも行ってみたかったのは事実である。)

 アムステルダムの国立美術館にある数点は傑作である。「小路」、「青衣の女」、「牛乳を注ぐ女」。(ただ「恋文」は、マルローの賛辞にもかかわらず、ぼくは他の三点とちがい、むしろ、ニューヨークにある作品にちかい気がする。)
 こうしたフェルメールがホーホの作品と同じ室に陳列されていると、その相違がはっきり分る。ホーホもまた一個のすぐれた画家だから、群小画家とくらべて賞められるより、 フェルメールとくらべて、画格のちがいをいわれた方がいまではよろこぶにちがいあるまい。一時、同時期にデルフトに来て活躍し、一見、同じようなテーマをかいたホーホの作品は、逸話的物語性がある。が、フェルメールには、まったく物語がない。沈黙の世界である。が、それだけではない。より大切なのはまったくマティエールがちがう。これだけの大きな相違がありながら、フェルメールの死後二世代もすぎぬとろから、その作品がホーホその他の作と思いこまれていたことは、いまになると不思議でもあり、また、一方では、ルネサンス末期以後十九世紀までヨーロッパの絵画の主流をなしていたものを考えあわすと、ひょっとすると、当然のようにも思える。マティエールという言葉が現代では物質感と材質感(テクステュア)と、二重の意味で使われるのはご承知の通りだが、ぼくは、ファン・アイクを見て以来、分けて見るわけにはいかなくなった。分けてはいけないと断定してもいい。が、それには前提条件がいるにちがいない。少なくとも、二十世紀における芸術上の革命が、二つの意味に使いわけた、その歴史上の事実をへて、はじめて、いえることがらにちがいない。

 ウィーンにある「アトリエ」──多くの賞賛にとりまかれ、フェルメールの特徴の比喩として「フェルメールはこの画中の画家のように、われわれに対して永遠に背をむけ続け、その顔をうかがわせないのだろうか」といわれる。が、ぼくには、オランダやパリでうけたような感銘をうけない。構図をふくめて、技法的には、たしかにフェルメールだが、・・・・・・画家の衣装や手前の椅子のあたりが、褪色したのだろうか、のちの手が入ったのだろうか、もう一つ、しっくりいかない。したがって、フェルメールの特徴として、このうしろ姿の画家を比喩に用いるのは、単なる──というのは、まったく必然性のない──修辞学にすぎない。まことにうまくいいあらわしてはいるのだが。

   沈黙の世界
 ぼくは、感銘をうけた作品だけしか思い出さないが、──あるいは、そうした作品からうけた感銘しか自分のものとして思い出さないが、・・・・・・はじめにかえって、やはり、フェルメールは危険な画家だ、という気持をいまはぬぐい切れない。 とっぴな比喩で恐縮だが、たとえば、能で「熊野」の完璧な美しさに耽溺してしまうようなあぶなさである。フェルメールの事実上の発見者トレがいみじくも「スフィンクスの謎」といったのは、トレ自身の意図に反して、ぼくには、当っていると思われる。スフィンクスの謎は、人間そのものを呈示するほか、のりこえるわけにはいかぬものだ。スフィンクスのまちかまえる、この道は危険にみちている。善悪ともに内部外部のさまざまな経験をおのれの不可避な宿命と予感し、観じた人間でなければこの謎に負けてしまう。それと知らず、宿命によって父を殺し、母を姦すことになる壮大な悲劇的巨人によって、スフィンクスの謎を克服させたのは、古代ギリシャ人の大きな叡知であろう。
 実際、フェルメールの、あまりにも光輝にみちた完結された完璧な作品はオイディプスのような人間によっしか克服し、継承されないのかもしれない。 フェルメールの作品中、ぼくの感銘をうける作品を、オーヴァ・アップすると、いわば、日常のある瞬間、ひと知れず、ふと時計の針をとめたかのような印象をうける。とはいえ、むろん、写真のシャッターをおろしたのとはちがう。時計の針をとめることによって、日常のいとなみのすべてが、その瞬間に集約されるのである。
 だが、やはり、ここは、動きの永遠になくなったくに、動きをとじこめてしまったくに、動きの記憶さえなくなってしまった国であり、作者の顔をうかがえない輝かしい色彩の一瞬のひらめきによって、かえって、一層深まるもの音、人声のきとえぬ沈黙の世界である。
 十七世紀の画家という、ある時代に限定されていないほど完璧な作品である。むろん、超一流の作家ならば、誰でも、ひとむかし前ならば「時空を超えた」という形容詞がつかわれるが、しかし、それにしても、どこか、その時代や環境のすべてのものをふくんでいて、それとの闘争や格闘的戯れが見えるものだ。フェルメールの作品は、どこか、そうしたものがはじめからなしにか、あるいは、封じめることで、完成されていると思われてならない。もちろん、当時のオランダ共和国という特殊状況を想定しても。
 最も先進的に共和国になったために、変則的な部面がある。極端にいえば、国家単位をつくり出したとはいえ、まったく突発的ともいえる状態で、未完成のまま固定化されたかのようだ。中世的分立性と自立性が、地域社会としてそのまま残り、市民は戦うより、耐えることによって仕事をはたしていた。一方では身分制度というものが──制度としてでなくとも、思考様式、感情様式、行動様式の無意識な結びつきとして、──中世的結合関係の雰囲気のまま残っていて、いわば、それが、十七世紀オランダの推進力の中核だったと同時に、急速な衰退へのモメントであったようだ。
 画家の地位も、少数の例外をのぞいて、同様だったろう。フランドルをはじめとする南部とちがって、画家は小市民であり、職人であった。社会的身分から抜け出して、高位につく道は閉ざされていた。職人──その身分の中での自足が自閉にならぬかぎり、すぐれた作品を生む。だが、「まず職人になれ、その中から芸術家が生れる」などという通俗的なことをぼくはいっているのではない。超一流の画家は、すべて、自分を神に見られる職人と思っていたが、少なくとも、職人にあこがれている。そうした態度のうちに、素朴さと節度と品格のあるゆるぎない威厳と融合する。どんな物を作るときにも、その物を存在するものとして見る態度が、清潔ないのちをかよわせるものだ。古いもの、もう使うこともないと思われるものを、そのまましまいこんで、決して棄てない、ある保守性も、そんな態度と結びついている。パロックをうけいれなかったのも、その辺を考えればうなずける。(ユトレヒト派のロマニストがいたのは事実だが、それは例外的異変にすぎまい。)
 紙数がないので急ぐが、そう考えても、ホイジンガーの、フェルメールの位置づけは無理だ。ホイジンガーがとまどい、困っている様子が行間にうかがえる。当然である。
 フェルメールの作品には、エーテルのようなものが一種のヴェイルのように画面を蔽い、現実とのどんな対応をも拒否している。この絵にかかれたものの、どこかほんの一部分をちょっと変えさえすれば、現実との通路が見出せるかもしれぬ、というような奇妙な錯覚をおぼえる。むろん、そんなことのできるわけはない。あまりに、個々のものすべてが緊密に結びついてしまっていて、どうにもなすすべがないのは分り切ったことだ。
 超一流の完璧な作品が現実との対応を拒否するのはあたりまえだし、現実が模倣しようにも模倣しえぬものなのも当然なのだが、しかし、それには条件がいる。 人間は身体の動き、内部の高きを願う心とおどろおどろした情念を持ちあわさざるをえない。別の現実の仮設によって、身体の泥と内心のおどろとを捨象しようとする願望がある。が、どんなにしたところで、それがまったくなくなるわけではない。超一流の作品は、その泥とおどろとを別の次元で解決しようとする必死の努力の結果である。が、どうやったところで余剰が残る。超一流の作品が未完成におわるのもそのためだといっていい。自分の意識では分らぬものを求めるのだから。その意味で、極論すれば、完全に完成された完璧な芸術作品は存在しない。が、フェルメールにはいわば無条件に完成された完璧性がある。無条件といって悪ければ、メフィストフェレスと契約を結んだかのような。
(完)

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