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異端の画家はいない─みなおした日本画壇史をみて─

芸術新潮

 「異端の画家たち─見なおした日本画壇史展」を見て、「異端」といふ言葉がちょっと氣になった。いや、ちょっと氣になった、ナドといふひかへ目ないひ方はこの際しない方がいゝかもしれない。異端といふ言葉の解釋如何にもよるが、少くともぼくには、こゝに並んだ二十三人の画家たちが異端といふすさまじい言葉に適してゐないやうに思はれた。言葉尻にとらはれるつもりではないが、かういふ画家を異端といふ言葉でまとめるのは、またまた、ことをコンガラセルことになりはしないか、と思ったのである。
 なるほど、「見なおした日本画壇史展」といふだけあって、たしかに、大正期を中心に明治末から昭和初期にかけて、画壇のおもて側でなく、その底をながれる庶民の、地味な側に立つ画家をほりおこし、そこに焦點をあてて、いはゞ、地の鹽をさぐらうとし、その意味では、画壇史を見なほし、かきあらためようとしてゐる。その點、一つの文明論的なこゝろみをもくはだててゐると思ふ。
 しかし、暗くて重い。
 暗くて重いのは、この画家たちが異端だつたからだらうか?どうも、さうではないらしい。
 異端といふ言葉の語源は知らない。が、との言葉ですぐ思ひうかぶのは、ぼくには──そして、おそらく、多くの人々にとっても──いまのところ、カトリックに對するものである。残念ながら、佛教や儒教に對するものではない。まして、アカデミズムや、當世流行や、画壇のおもて側などに相對するものではない。そんなナマやさしいものではない。
 カトリックに對する異端といふことは、自分の方がまちがつてゐるかもしれぬといふ不安にたえずおびやかされる。物質的な生活上の不安ではなく、精神の存廢といふ「抽象的」な問題にかかわる不安であって、これは藝術家にとって物質的不安よりはるかにすさまじいものにちがひない。
 いはゆる抵抗画家とは本質的にちがふものだ。抵抗画家の場合は、自分を壓倒し、 民衆を弾壓する相手がいつも不正なのであつて、義はこちら側にある。が、異端の場合は、相手が正しいかもしれないのである。
 むろん、日本の、この半世紀間の問題として、カトリックのことなど、いまどうでもいいことだが、要するに、こゝに並んだ人々に、そんなすさまじい孤獨と不安とがあったとは思へないのである。 大正期を中心とする折衷的な民主主義の中では、生活上でも、繪画上でも、「流謫の人」たらざるをえなかったにせよ、どこかにひそかな自負と信念とがあつて、それを疑ふことを知らなかった。孤立せざるをえなかったにせよ、孤獨といふことが、自分を破壊するものではなく、自分を守る防波堤になつてゐたのであらう。たぶん、一つには、個々人の若死のためであり、また、一つには、時代の若さ、あるひは未熟のためであったらう。
 おもて立ったところでは、海外のいはゆる「先進」(「先進」とか「後進」とかいふ變な言葉はもう使ひたくもないし、使はぬ方がいいと思ふのだが、)を學び、 そこに追ひつかウトするとき、庶民的な地味な存在はかげにおひやられ、目だたぬところにおしこめられるものだ。それが生活上の様式にせよ、また、それと不可分の關係にある繪画上の様式にせよ。そして、藝術作品上では、孤立してしまふために、「様式」といふものがありえなくなってしまふ。が、實際に文明を友支へ、推進するものは、おもてだったチャンピオンではなく、この庶民性の綜合力なのだ。 いひかへれば、チャンピオンとしてのインテリ層のさまざまな姿態ではなく、庶民のいとなみなのである。
 この二十三人は──むろん、これだけではないが──この庶民の側に立つた人々であり、それだけに貴重な存在にちがひない。この邊を見なほそうとするこころみは賛成である。
 實際、大正期を中心として前後数年間は、官展に對立する多くの在野團體を生んでゐる。こゝに並んだ人たちにかぎっていつても、たとへば、萬鉄五郎などの參加した、最初のフォーヴ系團體のフューザン會、靉光、長谷川利光、松本竣介、關根正二、村山槐多、小出楢重などは二科を母胎として、獨立、美術文化、自由美術などに属するし、野田英夫、國吉康雄はアメリカに學んだし、抽象繪画の先驅的な役割を果たした坂田一男はフランス留學から歸國後は中央画壇から全く離れてゐた。官展系でも、前田寛治はクールベを學んで、のちには社會主義的關心を強く示してゐるし、中村彝にも晩年は宗教的感情に通じる切迫感がある。
 これは、舊套のあるひは官制の、権威に對する反發であると同時に、明治期に、いはゞ盲目的に受けいれてゐたヨーロッパ的主題と方法とを、官展在野をとはず、それぞれ自分の身につけようとする意志のあらはれだったにちがひない。一人で、日本画と洋画との兩面を同時に行ふ画家が、画壇のおもて側にも、まためだたぬ底の方にも、生れたことは必然だったにちがひない。
 たぶん、社會情勢上、それなりに民主主義成立の條件が──あるひは、その可能性の契機が──あったにちがひない。だが、何重もの断層が潜在し、さまざまな跛行を折衷する小市民的な環境が生れた。 こんな折衷的小康の中で、画家であることは──いや、画家をこゝろざすだけでも──何らかの意味で、「低俗」に對する一つの抵抗であり、また、そこからの脱出を意味したに相違ない。
 楽天的コスモポリタニズム、國粹主義、社會主義的風潮などが、たがひに未文化の状態か、あるひは、たがひにソッポをむいた状態で、まじりあってしまった。變な藝術至上主義やら生活至上主義やらも生れなければならなかった。
 さうした人々の思想は──それだけを切りはなしていへば──はなはだ幼稚だったし、多くの画家たちは挫折した。画風をうけとめる地盤がなかったといつてもいゝ。むしろ、折衷的小康に對する反抗の姿勢や脱出の姿勢は「餘計者」として、どうしても孤立した個人の境にとどまらざるをえなかった。個人としてそれなりの完成はあったかもしれないが、その様式がうけつがれぬとなれば、作家は挫折である。うけつがれ、變様されることがなければ、様式は様式として確たる存在にはなりえないのである。
 が、稚拙な思想を本気で信じて踊った舞踏や、断層をうけとめようとして自分の道を歩き、自分のおかれた状態にして責任を少しでもはたさうとした態度には、當時の、かなしい美しさがある。
 しかし、問題なのは、そのかなしい美しさに甘えることができたことなのだ。(甘えることができた、といつては、はなはだ酷かもしれない。だが、いまとなっては、その残酷をあへていはねばなるまい。)孤獨をうたふできたのである。あるいは、多くの画家が夭折したその若さのためかもしれない。 青木繁の數奇な運命、長谷川利行の施療院での死、關根正二、村山槐多・・・・・・貧窮と悲惨な生活は、いへばきりがあるまい。そして、また、そんな生活などどうでもいゝのかもしれない。問題は作品なのだから。が、また、その生活の苦しみを作品といふ緩衝地帯で救へたのかもしれない。それとも、そんな緩衝地帯として作品を生んだのかもしれない。孤獨のおそろしさにたへるよりも、孤獨をうたふロマンティシズムがあつた。いや、ひょつとすると、ヒロイズムまであつたかもしれない。この画家たちにヒロイズムがあったかどうか、性急にひとからげに断定することはつゝしんだ方がいいかもしれぬが、これを「異端」といふ言葉で表現するところには、多少ヒロイズムの氣がないとはいへまい。
 と、こんなことをいへば、日本にはカトリックの傳統がないのだから、カトリックに封立するような異端がないのは當然であつて、それをあげあしとったのでは、半世紀餘りの日本の文明を抹殺することになる、と反駮されるかもしれない。が、ぼくとすれば、抹殺しないために、もつと厳格に見つめなければならぬと思ふのである。
 はじめにいつたやうに、いまのところ、カトリックの問題など、實際ぼくにはどうでもいゝことなのだし、 カトリックの傳統がないのだから、異端もないのは當然だ。ナドといふのは、それをナゲくにしろ、しらばっくれるにしろ、それではことがはじまらぬ、といひたいのである。ヨーロッパにおいてカトリックの傳統だって、自然發生したものではないのだ。
 だから、ぼくにしたってこゝに並んだ二十三人の画家が異端の名ではよべない、といつたからといって、それで、この人たちをせめるつもりは毛頭ない。精神の存廢にかゝはる「抽象的」な問題にぶつかった画家は、この半世紀あまりの間、たぶん、ゐなかつたのである。こゝに並んだ画家に、おもて立たぬ画壇の底流を見、そこに地の鹽を見、もう一度焦點をあてることは、たしかに「今日の切實な問題」ではあるが、それよりも、異端といふおそろしい言葉に適する画家がるなかつた、とみきはめることが、ぼくたちのおかれた狀況を見る上に、さらに「切實な問題」ではあるまいか?
 異端といへば、残念ながらカトリックに對するものを考へる、といったが、それは、ぼくに佛教といふものが、まったくないも同然だからであらう。精神の存廢かゝはる「抽象的」な切迫感をもつて、佛教はせまつてこないからだらう。 佛教のダラクであると同時に、ぼくのダラクであるかもしれない。歴史的に見て、佛教に異端がなかったとはいへない。たとへば「歎異鈔」の文章をおもひおこす、──
「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて念佛して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆゑは、自餘の行をはげみて佛になるべかりける身が、 念佛まうして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてと後悔もさふらはめ、いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」
抹香臭い、ナドといはずに、もう一度よくよく讀んでいたゞきたい。精神の存廢について、これほどの疑ひをもち、また、これほどの意思をもつた文章は、さう多くはないはずである。他力本願などといふ言葉にゴマかされてはいけない。個人の「自由意志」と「行爲」とが、すさまじい言葉で決然と表現されてゐるではないか?
疑ふべきものを疑ったところで、なにほどのこともあるまい。疑ふべからざるものを疑ふのが異端なのだらう。
 たぶん、この二十三人の画家たちは、文明の最尖端に立つチャンピオン的な存在に對して、偽善を感じ、怒りをおぼえたにちがひない。インテリのズルサに對して嫌悪を感じたにちがひない。だが、庶民の側に立つて、その庶民の中にあるズルサには歯が立たなかった。生活上でも、檜画上でも、その點がアイマイであった。
 歯がたゝなかったから、疑はなかったのか、疑はなかったから歯がたたなかつたのか、その邊の相關關係はむつかしいところだが、とにかく、ヤシロで物あきなふものにムチをふる力がなかったのはたしかである。
善人なほもて往生す、いはんや悪人においてをや──といふ意味で、つひに「悪人」にはなりえなかった人々である。「悪人」でない異端ナドあるわけがない。
 それに、こゝまで異端にテッテイすれば、暗くて重いどころか、透明な美しさが出てくるにちがひないのだ。
しかし、カンジンなことは、この人々だけに責任があるわけでもなく、また、社會機構や宗教に責任があるわけでもなく、今日生きてゐるぼくたちにこそ、もつとも大きな責任がかゝつてゐることなのだ。
(美術批評家)

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