現代作家小論 糸園 和三郎
美術手帖
糸園和三郎の作品に、ぼくが注目したのはごく最近のことである。一九五五年作の「架」あたりではないかと思う。その前にも、むろん、「アパート」をはじめ、抒情的な作品の美しさに気づいてはいたものの、それまでは、見ていて、見ていないも同様だった。つまり、ぼくにとって、糸園和三郎という画家は存在していなかったということであり、ぼくの遍歴の中に、何の場所ももたず、何のかかわりもなかったのである。
「架」について、ぼくは以前こんな風に書いたことがある。――
「これは甘美なリリシズムから、造型のたしかさとでもいいたいものに発展した、作者にとっても、記念すべき作品ではあるまいか?糸園の作品にふれることは、ぼくはすくないのだが……以前ペン画のシリーズ『母子集』で、母を底辺に子供が上に重なってゆく構図をかいていたが、同じ構図でも、これはそのときの優情がふっきれている。」
「「架』というだけでは何のことか分らぬが、空にかけわたすという意味だろうか?アレゴリーの意味など分ったところで仕方がない。」いや、意味がすぐたどれるようでは、本格的な造型にはならぬ。」
「十字架を連想させるような人物が上へ上へと宙に橋をかける。現代の悲劇的な状況の中での、作者の希願かもしれない……」
「架」で糸園の発展を見るべきなのか、それとも、そこで、ぼくがはじめて糸園の存在に気づき、それをうけいれ、――あえていえば、その作品の成立に参加しうるようになったのは、ぼくの、わずかの成長と見るべきか。その辺は、実は、アイマイで、分りにくいところなのだが、たぶん、両方なのだろう。
(ぼくが批評家だから、こんなヘンテコリンなことをいうわけではない。他人をダシにして、自分を語るといった具合でもない。ただ、作品が存在するためには、それを見るぼくが存在していなければならない、と、ぼくの方からはいいたいだけのことである。いいかえれば、作品をなかだちにして、作者とぼくとがむきあう場が成立しなければ、作者もぼくも、そして作品も、存在していないのと同じことなのだ。批評家として、そう思うのではなく、観衆の一人として、――そして、もっといえば、人間として――そうした架空の場をつくり出すことが、必要な条件なのだ、とぼくは思う。)
五六年の「壁」、五七年の「鳥の壁」になると、糸園和三郎は、ぼくの中にかなり大きな位置をしめてきた。
が、その前に、先日、糸園和三郎の新居をたずねたとき、話がペン画シリーズ「母子集」におよぶと、いきなり、糸園はこういった。――
「あれは、クリちゃんみたいな気がしていやになってやめました。」
とっさのことで、ぼくは何のことかすぐには分らなかったが、「クリちゃん」なるものが新聞の連載漫画だと分って、やっと、了解した。
「クリちゃん」はオトナが見たときの、コドモのおもしろさ、カワイラシサであり――というより、オトナが自分の都合のいいように一方的に解釈し、オトナの常套的な希望にはめこんでしまった、コドモのおもしろさ、カワイラシサである。しかも、このコドモには年令がなく、成長ということがない。発育のとまってしまった状態であり、オトナが勝手に発育をとめてしまった状態である。いってみれば、これは、オトナが、愛情のかたちをとりながら、実はコドモにふるう最大の圧制だといえないこともない。――いや、たしかに圧制なのだ。もっともらしい顔つきをしたオトナの、善意にみちて行う圧制である。愛撫するために、子供のカワイラシサをいつまでも、そのままにしようとする、いわば、人権ジュウリンにちがいない。
糸園和三郎のペン画シリーズは、克明丹念なもので、ルネサンス初期のミニアチュアやプリミティヴ画家の銅版画のような、明るさと暗さとがただよい、静かにむかしがたりをしているといった具合で、ぼくは、かならずしも、「クリちゃん」みたいには思わないが、作者自身が、この優しいペン画に、「クリちゃん」と同質なもの――それが圧制であるか、人権ジュウリンであるかはとわぬとして――を感じとっていることは、興味深い。ぼくもまた、このペン画や、「架」以前の作品には、ある種の感傷性を感じるからである。感傷性とは、暴虐を裏がえしにした同義語かもしれない。
ペン画集から、五四年作「アパート」あたりまでの作品には、近代日本の文明の進展からおきざりにされた場所、文明の発達のために見すてられた生活――そんなところにわずかに生きる生命の灯をみ、心を投影した、つぶやきがきこえるようだ。が、ここらあたりには、神経が過度にセンサイになりすぎている。この作者にとっても、この世界は生きにくいか、と思われる。消えいりそうである。むろん、 消えいりはしないが、同情から生じた感性がある。
そのために、作品がそれ自体として、自給自足してしまう。
むろん、作品というものは独立したものであり、結局は、自給自足すべきものだが、ぼくのいいたいのは、そんなことではない。作品が、作者と見るものとの協力を必要としなくなっているということ、より正確にいえば、作者と見るものとの協力を根本のところで拒否しているということだ。
生きがたい世に、やっと生きているのだ、余計なことをせずに、ほっておいてくれ、別に悪いことはしないのだから……裏がえせばそんなつぶやきになりかねない。が、作品をなかだちに、作者と見るものとがむきあい、作品の成立に立ちあったとき、作品は存在しているといえるし、実は、それによって、作者も見るものも成長するにちがいない。いいかえれば、作者にも見るものにも、積極的に協力をうながす力をもっているとき、作品は存在しているといえる。それが造型のたしかさというものだ。
作品が自給自足してしまういや、作者が対象を自給自足させてしまう――これは、おそらく、愛情のかたちをとりながら、作者は無意識のうちに、対象を潰してしまうことになる。同時に、作者が自分の手で自分を渡すことになる。
たぶん、糸園和三郎は、その辺を意識して、「クリちゃん」みたいな気になり、いやになり、つらくなったのではあるまいか。
と、これは、感傷性からふっ切れた「架」以後の作品から、それ以前の作品を、作者のふともらした言葉を手がかりに逆算してみただけのことにすぎない。
「架」を見たころ――つまり、ぼくが糸園和三郎に気づいたころ――ぼくは糸園について、ちょっと書いたことがある。いま、極端に時間がなく、新しいことがいえそうもないので、自分の文章で恐縮だが、引用しておく。――
「糸園は抒情の世界を孤独にうたっている――といったところで、人間は孤独のままで生きていられるものではない。糸園は、人間が孤独になりながら、どこか、たがいに結びつきうる基盤を手さぐりしているのである。共通の目標などというものの当てにならぬことを承知しているから、目の前に目標をかかげるより、目には見えぬ、根底の基盤を暗中模索しているようだ。」
「静かな声である。おだやかな調子である。 するどいが、つつましい。清潔な郷愁に似た心情がただよっている。郷愁というものは、みずから故郷に訣別したもののみが知る心情だといっていい。だからこそ、人間がもう一度、結びつきうる共通の基盤を求めるのである。」
「寡黙な画家である。ぼくの見たかぎりでは、糸園の作品は説得もしないし、さけび声もあげない。たとえば、歩きながら、静かに語りあっているような気がする。誇張もなく、テライもなく、いわば、羞らいをふくんだ、もっとも素朴な言葉で語る……そうすると、その素朴な言葉が、いつか、もっとも洗練された言葉になることがある。そんなとき、語っている作者と、語られている言葉との関係が正しいのである。そして、この関係の正しさをたもつのが、芸術家の最初の、そして、おそらく最後の、礼節である。...」
「糸園の求めるものは小さな、ひとに知られぬ生命の灯であり、彼はその灯をたやすまいとするかのようだ。庶民というもののひとりひとりが、あらゆる政治的圧力や暴力にたえながら、奥底のひとりの場で、じっと秘め守っている部分――そして、そこを具体的に、ほとんど唯一のたよりにしている部分――だといってよかろう。つまり、極小の部分に、人間が結びつくメドを求めているかのようなのだ。」
「こんな摸索の行為が正しいかどうか、また、他人が認めるかどうか、それは作者には分らない。作者に分っていることは、自分の行為そのものではなく、自分の信従する、一種の理想は、いつか正しいものとなり、いつかかならず他人が認めるだろうと信じていることだけだろう。」
「これは、自分の能力に対する信頼ではなく、自分の理想への信頼である。この二つのかたの信頼――外見上はきわめてよく似た、しかし、本質的には大へんな相違のある二つのかたの信頼――を明確に区別して考えねばなるまい。センティメンタリストとロマンティシストとのちがいだ、と簡単にいってもいいが、それよりも、むしろ、自己の存在の確実性という根本的なものに関する、覚悟のちがいだといった方がいい。糸園の場合、変ないい方かもしれぬが、自分よりも、人間全体の方を信頼するという、いさぎよさがある。つつましさのなかに秘められた、強い自信だといってもいい。」
「糸園の絵が、これだけ抒情詩をうたいながら、メロディに流れて弱くならず、アレゴリカルなものをかいて、ひねくれたところがなく、心情がすずやかに、見るものに伝わるのは、こういういさぎよさが絵を支えているからだと思われる。
「鳥の壁」などになると、ヴァルールもマチエールもたしかなものになっている。
ヴァルールとかマチエールとかは、いいだせば、切りのない問題だし、実は、ぼく自身あまりよく分ってはいないのだが、簡単にいって、ヴァルールとは色と色との関係の正しいバランスみたいなものだが、それは単に客体物として、操作できるものではあるまい。さきほど、引用した文章で「語っている作者と、語られている言葉との関係の正しい」ということをいったが、そんな関係があるとき、言葉にヴァルールがあるといえよう。それと同じく、色はつねに作者のあり方を通しての正しい関係にあるとき、ヴァルールがあるといえる。 透視図法的遠近法とともにはじまったヴァルールの問題ではあるが、現代では、再現的な描写絵画のほか、ヴァルールの正しさは、そのよりどころを、最初に作者との関係におかざるをえないのだ。
マチエールは、絵具を単なる道具や材料としてではなく、対象としてとらえるときにあらわれてくるにちがいない。むろん、道具としての材料と、それ自体が一つの存在物である対象とを分離して考えるわけにはいかぬのが、芸術作品というものだが、実際は、分離して考えられている場合が多すぎるのだ。道具としての材料ならば、いくらでもひろげることができるし、またいくらひろげたところで、機械的な技術や人間の心情で、ほとんどどんなことでもできようが、それ自体が一つの存在物とみられたときには、人間の手におえぬものになる。 むしろ、人間の方が、それにひきつけられ、そのなかにつれこまれ、そのうちに変様したとき、人間ははじめて存在しうるようなものなのだ。
思いがけぬ出会い――という、例のシュールリアリズムの合言葉が、現代に再生するには、その出会が、人間と対象との、こんな関係が成立したときにちがいない。外見上の思いがけぬ出会い、ということは、いまでは、もうどんなことにもぼくたちはおどろかぬようになっているし、また、たぶん、そんなものは、とっくに許容ずみにちがいないのだ。
戦前、ダリ風のシュールリアリズムから、その画家としての経歴をはじめた糸園和三郎が、それから、はっきり訣別するには、孤独な時間に、ひと知れぬ大きな労苦があったにちがいないが、 訣別が明確になったとき、自分の言葉を――色とマチエールとを――見出したと思われる。
(美術評論家)
糸園和三郎 略歴 一九一一年大分県中津市生
一九三〇年春陽会入選 一九三一年第一回独立展に入
選、第八回迄出品 一九三九年美術文化協会創立に参
会員となる 一九四六年美術文化協会を退会、自由
美術家協会に入り、会員となり、現在に至る 一九四七
年前衛美術会設立、会員となるも四九年退会 一九五七
年サンパウロ・ビエンナーレ展出品 同年日本国際美術
展にて受賞