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現代作家小論 福沢一郎

美術手帖

 福沢一郎は日本で超現実派的な傾向に先鞭をつけたし、その紹介者でもあり、推進者でもある、といわれます。それにちがいないようです。が、その次の年代のシュールレアリストたちは、福沢に影響をうけるとか、福沢につづくというよりは、福沢に誘発されたのちは、直接ヨーロッパのさまざまな様式に学んでいます。福沢は一つの権威というようなものにならず、むしろ、孤立しています。
 もっとも、こうした状態は福沢の場合にかぎったわけではなく、日本の油彩画の場合は、程度の差こそあれ、ほとんど誰についてもいえることでしょうし、少々、大げさにいえは、近代日本のおかれた状況の中で、少しでも、アクチュアルな発言をしようとするものの、歴史的な宿命みたいなものかもしれませんが。……
 福沢がそんな宿命的な孤立を受けいれて、教的存在にならなかった一つの大きな原因として、福沢のもつヒューマニズムを考えることができると思います。ヒューマニズムなどという言葉はどうも大きすぎるし、その上、だいたい、いい加減都合よくつかわれて俗語にしてしまうことが多いので、あまり使いたくないのですが、簡単にいえば、個人的には合理主義的な精神と自由主義的な心情とをもって、人間 関係を考えているといえましょう。いままでのところ。日本では、ある一人の人間が権威になり、次の年代がそれに従うというようなケースは、どうも、偏狭な、あるいは、狂信的な、国粋主義者みたいなものばかりだったようです。(天心の場合だけは、かなり註がいりますが。)合理的な精神をもつものは、どうも孤立せざるをえぬという状態だったと思われます。
 シュールレアリスムの闘将に合理主義的精神などというと、あるいは、ちょっと奇異な感をいだく人もあるかもしれませんが、もともと超現実派は合理主義の発展のはてに、一つの転換として生じたものだといっておきましょう。だからこそ、いわゆる合理主義の規範に反撥するし、出来上った既成の権威に反逆する。そして、それだから、自分自身が何か一つの権威になることを拒絶する。福沢は生来の性格と教養との結果、そういう自由を求めているようです。芸術家としての自由よりも、人間としての自由といったらいいかもしれません。
 何かある一つの様式が、それ自体で自転し、自足しだすと、それに抵抗したくなる。自分自身の作風でさえ、いや、自分自身の作風であればなおさら、それが自足し出すと抵抗する。本格的なシュールレアリストは、目標としてすぐさま共有しうるようなイズムには満足できず、一人一派となり、その個人の様式さえ固定化しそうになるとそこから脱却しようとするのです。この点 福沢は柔軟性をもった画家だし、その柔軟性がシュールレアリスムというものを固定観念化しなかったようです。

 福沢は内部的な世界の表面に満足せず、いつも、外部との接触をたもっています。彼自身の言葉によればーー
「私は抽象主義的形態を、私の表現として取り上げてみた事が余りない。それは現実遊離のさびしさというようなことでなく、私の性格に合わない為である。私の関心はむしろ写実なのである。現実が何等かの形で鋭く反映される事を喜ぶ風がある。シュールレアリスムの内的世界の真実はその外的物的世界の連鎖反応によってのみ可能となる。従来のシュールレアリスムは夢や無意識のみに捉われ過ぎていた。」(みづゑ五六〇号)
 画家の言葉というものは、かなり用心して読む必要があるのですが、「内的世界」にしても「外的物的世界」にしても、固定観念化することを避けているのは、こんな言葉からもうかがえます。
 夢、無意識、幻想などは、それだけでは、はなはだ心もとないものです。また、感情そのものにしたって、そのままでは、あまりアテにはならない。経験した感情は絶対だともいわれますし、あえて反対するわけではありませんが、しかし、感情は、それを統禦する一つのメドが自分のうちにないと、たとえば、群衆心理にまきこまれたりして、あまり信用できるものではありません。感情を真実にするためには、感性を統禦するメドがいる。そのメドをもとめて、福沢は、感情や内的世界に現実が「鋭く反映される」ことをねがうようです。激しい感情の自転をそのまゝ表白すると、まず、ほとんどの場合、センティメンタリズムにおちいる危険があります。センティメンタリズムが行動となってあらわれたときの危険は、福沢の合理的精神は先刻承知しているはずです。
 夢も、そのまゝでは、こういうメドを支える文法の可能性がありません。むろん、文法があってから言葉ができるわけではありませんが、しかし、文法の成立しうる可能性を内包している言葉でなければ、表現ということは不可能でしょう。叫び声、泣き声、絶叫、そして、シニズムは文法をもたないのです。造形言語の場合も、文法の可能性をもたなければ、表現はできますまい。おそらく、文法を成立せしめる土台は、いわゆる集合的無意識とか潜在的な夢とかいう領域だろうが、だからといって、個人の勝手な夢を表白していいというものではない。むしろ、夢と作者との関係を正しくおこうとする厳格な姿勢が必要でしょう。福沢は、その正しさをたもつために、感情を外部の物にぶつけて明証しようとするようです。
 「抽象主義的形態」は福沢のいうように「現実遊離」だとばかりは、ぼくは思わないし、これはこれで、現実を把握する一方法だと考えていますが、しかし、もともと、物と物、外部と内部などの諸関係を関係そのものとして追求しようとする意図から出た方法と思われるから、「写実」に関心をもつ作者がこの形態をとらぬのは当然かもしれません。(こで一言、註をしておきます。 「現実遊離」しているのは、前時代を支配した様式、そして、いまでは劃一的になって創造力を失った基準の観念だといった方が自然でいいでしょう。シュールレアリスムも抽象主義も、こんな「現実遊離」への反撥であり、新しい現実の創造への方向をとっているものでしょう。)
 この「写実」という言葉をもう少し延長すると、いわゆる「見出された事物」の観念に通じるかもしれません。人間のつくり出した人為的な所産ではなく、自然の必然的な動きによって形成された外部の事物――それを選ぶことによって、内部と外部との「連鎮反応」がおきるのでしょう。

 福沢がはじめヨーロッパに遊学したとき、すぐさまシュールレアリスムにまきこまれず、まず、はじめ、ヨーロッパ美術の伝統的な作風に関心をもったことも、一つには自分でいうように、近代絵画を「まだ見る目がなかった」からでもありましょうが、それよりも、物が物として存在している確かさに心をひかれたからだと思われるのです。「伝統というのは、ヨーロッパ美術が堅牢な造形から成っている点で、構成とか形とか量とかいう、およそ日本的なものからかけ離れたものによって、緊密に組立てられている事である」ともいっています。これは、福沢がはじめ彫刻をやっていたこととも関係がありそうです。彫刻には、構成、形、量によって緊密に組立てられたものの原形とでもいいたいところがあります。その上、彫刻は、その材料の特質からいっても、内部世界の延長とはなりえず、むしろ、内部世界の延長に強い衝撃をあたえ、抵抗する、一つの外的物的世界そのものだといってもいいくらいのものでしょう。(福沢には抽象的形態が「性格に合わない」というのも、この辺からも考えられるかもしれない。)
 「写実」的な関心から、ルーペンスに傾倒し、こんな風にいっています、
 ――「ルーベンスの肉体描写ーというより肉感の表現はすさまじい迫力を持っている。古今のどの画家も、彼ほど生々と肉感を表現し得たものはあるまい。彼より一層高貴に描き得た者はいるが、彼ほどいやらしいまでに流動し、発汗し、体臭を感じさせる肉体を描いた者はない。」福沢の作品の中にも「いやらしいまで」の肉体のかかれたものがあり、この辺にも、シュールレアリスムにむかう経路があったらしい。つまり、一口にいえば、いやらしいまでの肉体の存在する確かさに、いわゆるフラストレーションのはけ口を見出し、それが、個人的にもっていた合理主義と結びついて、急カーヴをもってシュールレアリスムに近づいていったらしい。

 福沢の作品にはアレゴリカルなものが非常に多い。アレゴリーが最高のかたちをとるときは、一口にいって、個々の物の質量感をいったん捨てることで全体の質量感を出し、個々の物にまつわりついた常套的な付加物をとりさって、逆に、個々の物を救う、といってもいい。それをレアリスムといってもいいが、むろん、描写的写実派とはちがうものです。このレアリスムを通して、外見では見えぬ人間の関係――あるいは、人間がその中で生きている空間関係――を処理しようとし、そのために、架空の場を設定します。いわば、現実の再構成を意識的に行うためのフィクションです。
 福沢が彫刻から絵画に移っていったのも、こんなフィクションをつくりたかったからではありますまいか。彫刻は外部にそのまま存在し、フィクションをできるかぎりうけいれまいとしますが、絵画は、フィクションの可能性の多いものだからです。
 ここで注意したいのは、アレゴリーは、個々の物の質量をはじめから見ずにはじめると、逸話的、あるいは、物語り的なものになるか、それとも、ひとりごとにちかい心情の表白やシニズムになってしまうことです。 アレゴリーが作品として成立するには、物の質量を痛いほど知った人間が、その質量を作品の中に捨象した場合だけだといってもいいくらいです。福沢の絵には、内的世界の延長としての空間と、その延長に抵抗する「見出された事物」としての量塊とが同時にのせられています。
  もっとも、福沢の初期の絵には、社会諷刺的な絵ときみたいなものがあります。絵ときーーこれはアレゴリーの作者のもっともおちいりやすい危険です。それに、絵ときの要素は彫刻は許さないが、絵画は許します。若いころの福沢は、その辺に、ちょっとひっかかったようにも思われます。物の意味、名称、距離などを物から剥ぎとりながら、自分の心情のおもむくままに、あるいは機械的な構成をくみたてることで、あまりにはやく、別の意味、名称、距離を与えているようです。が、外部の物の意味を剥ぎとるという残酷さだけならことは簡単です。もし、自分の内部にも、それ以上の残酷さをむければ、そう簡単に別の意味を与えることができなくなります。むしろ、自分の分らぬ物――分析もできず、意味を与えることもできぬ事物を提示せざるをえなくなるはずです。戦後の福沢のアレゴリーはそんな風になってきていると思われる。つまり、どこの場所というのでもないし、誰という人でもない。仮構された場所であり、仮構された人間です。こんな場合、社会諷刺的に社会意識があまりあらわにあらわれぬ方がいいにちがいない。福沢がアレゴリーから象徴にうつった、などといわれるのも、この辺をさしてのことだろうが、しかし、アレゴリーと象徴とは、積極的な面では全く区別のつかぬものだから、こういういい方はかえって分りにくくなりそうです。

 福沢はよく詩人的資質などといわれます。が、アレゴリーをつくれるものは、むしろ、散文精神の持主だ、とぼくは思います。詩のメロディーで、ものの輪郭がとけ、情感が流れ、その流れに身体がこころよくひたっているときに、いきなり物を呈示して、流れにのってはこばれている心をせきとめてしまうのです。感情というものをナマ半可なままでは信用しない態度でしょう。情感の流れをせきとめるのはシニズムのためではありますまい。シニズムは次の発展を生まないが、福沢はいったんせきとめてから、別の仕方で開放しようとする。情感をせきとめるから、一見、粗雑に見える。が、人間がさまざまな状況で粗雑なかたちであらわれるとき、その粗雑さから人間を救うのは、そんな方法です。福沢の大作に見られる、かなり、荒っぽい筆触はそういう粗雑さだといってもいいでしょう。
 アレゴリーの作者はいつも対象との間に一定の距離をたもつ、とか、対象にいつも対応しうる柔軟性をもつ、とかいわれます。が、たいていの場合、その距離とか柔軟性ということが勘ちがいされています。 柔軟なのは、対象を質量あるものとして把握するためだし、距離をおくのは、その質量をいったん捨てることで、自他が結びつく場を設定するためにちがいない。福沢の彫刻と絵画との関係はだいたい、こんなものだと思われるのです。
仮構しなければ、到達不可能な距離というものがあり、測定のできぬ時間というものがあります。到達可能な空間や測定しうる時間の中では、人間の行った行為の結果は残りうるけれど、人間の行った行為そのものは残りえません。が、人間の行為の結果などはタカの知れたものにちがいありません。むしろ、人間の行為そのものが現存しうるという、いわば言語撞着するような、グロテスクな、架空の場を、現実に設定するのが、現代の問題だと思われます。シュールレアリスムの残した遺産のうちで、もっとも大きなものは、こういう場についての意識を生んだことではあるまいか。
 が、福沢のいう「夢や無意識のみに捉われ過ぎていた」「従来のシュールアリスム」の方法だけでは、こういう場を創造することは不可能でしょう。福沢はこの問題を今後どのように発展させてゆくでしょうか。
(美術批評家)

福沢一郎氏紹介
大正13年 昭和5年仏留学 同27年再渡欧、墨
略歴 明治3年群馬県生 東大文学部卒
所属 美術文化協会々員
現住所 東京都世田谷区砧町七二

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