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現代作家小論 山口薫

美術手帖

 山口薫は、田舎の道で、ふと出会ったりする石の地蔵さんみたいだナ……などと、失敬なことをぼくはときどき思う。それも、関西以西の、白い道の明るさの中に立っている地蔵さんでなく、関東の黒褐色の道の暗さの中にあるいは、のこんの雪のぬかるみの中に、じっといきをこらしている、ひなびた石の地蔵さんである。
 適度に太って、いくらかネコゼで、酒やけらしいおだやかな顔で、動作もおもそうだし、口もゆっくりだし、眼はやさしく澄んで美しい。「山路きて何やらゆかし」とでもいいたい庶民的フンイキを身のまわりにつくりだしている。
 モダンアートの一方のチャンピオンと目されている画家を、土くさい石の地蔵さんにたとえたりしては、無礼千万にちがいないが、ナニ、カマウモノカ、山口本人はチャンピオンなどと思ってはいない。周囲が勝手にそうしているだけだ。それに、だいたい、モダンアートなるものは、泥くさいものなのだ。モダンアートを近代芸術とも現代芸術ともいわず、カタカナで書かざるをえない現状だが、それにもかかわらず、というより、むしろ、それだから、本格的な、モダン・アーティストははなはだ庶民的な感覚の持主にちがいない、とぼくはつねづね思っている。ウソだと思う人は、世界中のどれでもいい、現在活躍している芸術家の作品を見てもらえばいい。どれも、自分の生れた土のにおいがある。(少々張り扇をつかえば、人間がそこから幽暗のうちに生れ、生の光にめざめたのち、ふたたび、その中にかえってゆく大地の根源力……しかし、こんな大げさな言葉は気がひけるからやめましょう。)
 だいたい、画家は時代の尖端をゆく、というような考えがあるようだが、こんなバカげた論議はない。なにもない空間に、手でこつこつと物をつくり出してゆく画家などというシロモノは、たいてい、十年くらいは遅れているというのがぼくの持論である。 宇宙旅行までやらかそうという時代に、地上に何ものかを求め、何ものかを残そうなどと夢みているのだから。
 だから、どうも、この一的な近代社会には生きにくいといった感がある。山口には最近、雪をあつかった絵が多い。それは、もちろん、白と黒との色彩にひかれたためでもあろうし、また、そこには、短歌的抒情性があるが、しかし、それは、いわゆる雪月花をたのしむ風流とはちがい、もっと荒涼としたものである。たとえば、ひとけのない、白ガイガイたる雪の、その冷たさの中にひとりいることで、雪のあたたかみをとらえようとするかのようだし、また、自分をしばらく冬眠させることで生命を保とうとするような具合。きびしい雪の温度と体温をあわせて生きようとするかのようだ。 カラッ風のふく野道の石の地蔵さんは、そんな調子でいきつづけてきたにちがいない。
 そんな生きにくさが含嘘ともなり、画をかかせる動因ともなるのだろう。「月光の顔」という作品がある。ショウジョウ寺のタヌキなら月にうかれてバカバヤシもやるだろうが、高崎在に生れた石地蔵は月の光にも恥じるような羞恥心をもっているらしい。チャンピオンになろうなどとノコノコ出てこないのは当然である。つつしみ深いところから来る親しみが、周囲の人々の邪魔にならず、そこで、ある程度、ファンもできる。ことに、短歌的詠嘆調に通じやすいものがあれば、なおさらである。が、また、そんなファンの甘やかしにおぼれぬところが、石の地蔵さんだ。石というヤツはそのくらい強いものだし、その石をタンネンに刻んだ庶民の営為は、石よりももっと強いはずである。

 先だって、モダンアート展の彫刻室で、偶然、山口薫に会った。この室は、彫刻をぐるりとりかこんで、ナワのれんみたいなものがぶらさがっていた。ナワのれんというより、くびつりでもしそうなナワ……いや失礼、外から見るとサーカスのおりみたいに見える・・・・・・また失言。
 ところが、山口薫がまずこういった、―
「親しみのある、このナワをつかったので......」
あとの言葉はききもらしたのだが、たぶん、「いい」という意味をいったのだろう。
 ききもらしたのは、「親しみのある、このナワ」といわれたとき、ぼくは盲点をつかれて、ハッとしたかららしいのである。ぼくは毎日米の飯を食っているにちがいないが、米をつつむタワラも、ナワも、ちっともナジミがないのである。都会生れ都会育ちといったところで、下町の商人のドラ息子だから、ぼくは庶民の一人だと思っているのだが、山口がナワに親しみを感じるという当然のことを、ちょっと気がつかなかった。山口の絵に、ぼくにとってちょっと分りにくいところがあるのだが、それも、こんな盲点にあるのかもしれない。
が、このとき、ぼくはいきなり思い出したことがある。
 ふたむかしも前のこと、高等学校で野外軍事教練につれてゆかれたとき、雪どけで、ドロンコ道の上に、土がネンド質ときているからクツがすべって歩くに歩けないことがあった。友人の一人がナワをクッにまけばいいとおしえてくれたが、ナワなどありはしない。が、友人は床に敷いてあったムシロから、ちょっ、ちょっ、ちょっとワラをぬき出して、またたくうちにナワをなってくれた。(ムシロがナワに化けるとは気がつかなかった。。その手つきを見ていると、ナワの方が自然にできてくるといった具合だった。見事なものだとぼくは思ったことがある。ナワをなえばナワが一つちゃんとなえるということ、これは着実で、実質的で、美しい動きをともなっているーいってみれば、芸術制作のもとみたいなものだ。ぼくは農民ではないから、ナワをなう必要もないし、ナワをなえねばならぬとも思わぬが、山口のいう親しみとは、こんな事情をさしたのではあるまいか、と思った。 山口が戦争中、絵を捨てて故郷にかえり、農民になろうとしたということと、なんとなく分るような気がする。
 つまり、具体的に、実質的に、風土に密着してものをつくり出そうというのだろう。
具体的にものをつくり出さずに、岡目八目をきめこんで、世界のひろがりを見ることくらい、いまでは簡単なことはない。
 地理的にも歴史的にも視野がひろがっているいま、既成の様式にとびついたり、そのさまざまなあり方を計算することなど、容易だろう。ものをつくり出すことで世界の動きに参加するにしても、世界全体の動きなど、個人が規制することはできぬし、第一、はかり知れるものではない。むしろ、その動きに信頼して、自分は自分のなしうる小部分を分担する、というと自負と決意とが山口にはあるらしい。
 近代絵画が一応―これはどこまでも一応だがー古い描写絵画に対抗しなくともよくなったので、対抗する目標が失われ、もっと地道におちついたところから、自分の方法を少しずつ求めようとする。技術的な画面処理だけなら(このいい方はたいへん危険だが)、もうすべて実験ずみともいえるのだから、その狭い間隙を気安くもぐるなら後退だが、小部分の分担ということが、作画以前の場で、誠実に生きるという強い支えに支えられているなら、......全体は部分を規制すると同時に、部分は全体を規制するという古くからいわれる関係が成立するというもの。

 山口は前に「ジャック・ヴィヨン小感」という文章をかいている。(本誌一九五四・五)実はヴィョンについてより、山口薫小感とでもいいたい文章だが、その中で、こんなことをかいている――
 「ヴィヨンは両方(印象派と立体派)に帰依出来ない自己というものを持っていたのであると考える。ヴィヨンは主義に忠実に、純粋にという人ではないだろう。純粋ということが又別個の処にあるようだ。このような自己に忠実に、その自己を抱いて一生を探し続ける人だと思う......」
 ヴィヨンとあるところを山口薫とおきかえた方がぴったりしそうである。両方に帰依できない、とは、右コ左ベンすることでも、折衷することでもあるまい。いわば、中間に身をおかざるをえぬということだろう。「主義」とはこの場合、与えられたヴィジョンであり、据え膳である。純粋ということは、ものにぶつからぬかぎり、単純ということなのだろう。主義に忠実にという人でないとは、無節操ということではない。山口の滞欧作から現在の作品まで、本質的には、見た目ほどかわってはいない。悪口ではない。山口薫という人間の筋が一本通っているのである。新旧左右、キリキリまいをする周囲の中で、自分の手のとどくかぎりを乗してゆくというタイプである。
 与えられたヴィジョンから、ものそのものの生命力を恢復するには、こんな手だてもいるのである。与えられたヴィジョンとは、たとえば......
 最近写真がさかんになり、技術もすすみ、仏像などを見事にうつした作品もある。ところで、ぼくは、よく耳にするのだが、見事にうつった写真の方が本物の仏像よりよく分るという。ナルホド、写真家が一つの方向をとって解釈したものを提出されると、本物を見たときの苦労なしに、感動することがある。が、これほど危険なことはない。今度、本物を見たとき、そのヴィジョンを通してしか見なくなるおそれがある。おそれがあるどころではない、現代はヴィジョンでしかものを見れなくなっている時代だ、とさえいい切ってもいいくらいなのだ。この辺をもっとつっこんでゆけば、ロレンスの「現代は本質的に悲劇の時代だ」というところまでいってしまう。
 こんな事態に抵抗し、ただすのが画家の仕事である。十年くらい遅れていたって、別段どうということはないわけだ。
 山口には磔刑の図だの「ノートルダム」だの「ダムエリザベトの戴冠」だの、その他クリスト教らしい題をつけた作品がある。今度のモダンアート展には「着物の十字架 (島原最後の日)」と題した作品がある。カトリックに関係があるのかと思ってききただしたところ、別に関係ないという。が、宗教らしいものはあって、あえて、それをいえば、クリスト教と仏教とがまじりあったようなものをバクゼンに感じているという。
神仏コンコウだの本地スイジャクだのということではあるまい。この辺には、庶民のもっている、もっとも強い嗅覚みたいなものがある。中間派にはちがいないが、これをただ日本的なボン・サンスといってしまっては、分りいいようで、かえって分りにくくなる。だいたい、宗教的感情などというものは心の奥で、ひそかに感じているもので、口に出していえば、こうでもいうほかあるまい。 きく方がヤボだった。
伝統という支えをもたず、支えとなるのは土のにおいだけ、などとバクゼンとしているときには、人間が結びあうべき共通の基盤―これは人間が眼の前にもってきたりできるものではなし、目標ではないーをさぐろうとする。暗中模索中ということである。
 都会の真中に住むわけにもいかず、かといって田舎にひきこもることもできないという中間派だが、しかし、おもて口のにぎにぎしさと裏口のさびれ方とを、ぼくたちは両方とも自分のものとしてもっている。「主義に忠実に」ということは、このどちらかを切りすてることになるといってもいい。が、しかしそんなことは、洋画はじまって以来何度くりかさえれたことだろう。そして、いつも裏がえしになり、たがいにただしあわない。だから、山口は、あらためて、石の地蔵さんをキメこんで、あらためて、その中間の小さな部分に身をおき、そこをメドにして少しずつ制作しようとするわけらしい。
 写実と抽象と両方に心ひかれ、一辺倒になれないとしみじみ述懐したことがあるが、それも、この中間のメドのところに身をおかざるをえぬセツナサからだろうし、また、自負でもあろう。小さな部分に身をおくはじらいをどうにか積極的にしようとする努力だといってもよさそうだ。
 ところで、さっき、ぼくには山口薫の絵にはちょっと分りにくいところがあるといった。たとえば「着物の十字架 (島原最後の日)」という題と絵との関係―つまり、この絵にこの題をつける発想法が分りにくいのである。
この作品の線は「紐」(一九三九年作だが山口の代表作の一つと思われる)の線への郷愁とも、それからの発展とも思える。物ほしにかかっている着物から、その感情をよびおこされたのか、それとも、その感情が着物に投影されたのか、たぶん、両方だろう。この着物のかたちが、また十字架へと連想させる......と、この辺までの発想は分るつもりだが、それが、島原最後の日というキリシタン全滅の物語りに飛躍するところが、どうにも分りにくいのである。
 山口にはメルヘンに心をたくす楽しさ短歌的詠嘆とがまじりあっているようだが、この作品の飛躍は、連歌的発想から生じたものだろうか?連歌の世界は、一つの句と他の句との中間に身をおくらしいのだが、連歌の発想法というヤツはぼくには皆目分らない。(「ねずみはふねをきしるあかつき」という芭蕉のツケ句くらいは分るつもりだが、連歌となると、もうサッパリいけない。)
むろん、ぼくの分らぬ発想法があって別段どうということはなかろうし、この石の地蔵さんは別に気にかけることもあるまい。とにかく「自己に忠実に」身をかけ「無芸無才この一筋につながって」一生を探しつづける人だろう。

山口薫氏略歴
一九〇七年 高崎在に生る
一九三〇年 東京美術学校卒 同年渡仏
一九三三年 帰国 自由美術家協会を経て現在モダンアート協会に属す

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