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現代作家小論 佐藤忠良

美術手帖

 数年前「群馬の人」、「木曾」など、一連の首を見たとき、ぼくは何か美しいものを見た気がした。いささか感傷的な言葉をつかえば、写実的な彫刻にショ光が見えてきたように思った。逸話的な物語性や描写的な説明や狭い意味での個人的な心情の表白が全くなくなったとはいわぬまでも、それらをできるだけ排除しようとして、マチエールに現実感があった。いままで佐藤忠良が生き、経験し、行動したさまざまな過去のことが内側にひめられ、マチエールとして、現在にうけとめられていたといっていい。
 外面的な勢いや、外面描写的な形態にとらわれていた写実的な彫刻から脱却して、彫刻というもののシンにぶつかってきた。モデル自身の気づかぬ性格や、その性格を形成した歴史が、個人的なものから普遍的なものへとひろがっていたし、それは同時に作者の性格や歴史が個人の殻をやぶってひろがっていたことになるのだ。いわば、情感がシンにこめられ、変な見せ場がなく、それだけ彫刻として強かった。
 ところが、「伏せる女」あたりから、どうもよく分らなくなってきた。これはかなりいいものにちがいなかったし、ぼくに分らなかったにしても、それだけならどうということもあるまいが、しかし・・・・・・
 何か意図があったに相違ないのだが、どうも、その意図がよく分らぬ。むろん、意図など分らなくたって、作品がよければそれでいいのである。あえていえば、完成された作品は意図の規制しえぬものとして存在するのだから。が、ここでは意図を模索しているように思われた。断っておくが、作品を模索しているのではなく、云おうとする意図そのものを模索している気配があったらしい。それはそれで、いままで自分の記憶してしまった作品や手法からの飛躍を求めたのかもしれなかった。そしてその願望には、それなりの必然性があるように感じられた。また、これはある意味でいえばマイナス面だが、この形態感やマチエールには、部分的に、かつての記憶が残っていたからだとも思われた。
 「さかさ」になるとどうしてもいただけない。何故こんなムリな恰好をしなければならぬのか。意図の模索がムリなかたちにあえてむかったにしても、願望の必然性がまったく感じられなかった。願望がどれだけ強くても、つくられた作品がダメなら、どうしたってダメなのだ、――きびしくいえば、造形作品は、ことに彫刻というゴマカシのきかぬ作品はそういうものだ。が、しかし、願望の強さがあれば、たとえ失敗作にしても、それはそれとして、いちおう納得だけはするものだ。ぼくにはその納得すらいかなかったのである。
ぼくはあとで考えこんでしまった。――(いかにも残念なので)――かつての記録された手法を捨て去るために、こんなムリをやり出したのか、それならそれで同情されるかもしれない。だが、ぼくは同情などしないことにしている。彫刻家がぼくなどの同情をかうようではダメなものなのだ。それに、佐藤は、そんな同情を求めてはいまい。
 それに――と、変なことを考えた――それに、現代、写実彫刻をつくるということ、ことに丸物で写実彫刻をつくるということは、悲しいことなのか。むかしの彫刻家は、たとえば、ある一人の肖像をつくることで、そのモデルの気づかぬ性格を表現しえた。個人の性格は時代に規制され、過去に規制されて、それを現在にうけとめて存在させているものだとすれば、個人の性格は時代の大きなシクミの一部分として規定されていると同時に、逆に時代に働きかけ、時代をも規定してくるものだ。むかしの彫刻家はそんな具合にモデルの現在を表現しえたし、同時に、それによって、作者の現在の存在をも表現しえたのかもしれない。が、現代ではそんなことができるかどうか?この複雑怪奇な社会のシクミは、いわば、抽象的な空間や時間になっている。これを具象的に、物としてつかまえることが、写実彫刻ではたして可能かどうか?おそらく、非常に困難なことだ、――不可能といってもいいくらい困難なことだ・・・・・・・
 ところで、今年の「足なげる女」について、佐藤は自分でこう書いている――
 「数年来、僕の彫刻は順を追うように姿勢を低くし始めている。腰をかけ、腰をおとし、あぐらになり、四つに伏せ、遂に背を反らして足をなげ出してしまった。」
 「これは、昨秋の新制作展に出した足を投げ上げたものと力点を反対にした点でまったくねらいのちがうものではあるけれども、ぐっと横のびになったところは似ている。こうした傾向が僕の中に出始める頃から、僕は仲間の絵描きや彫刻家たちと一緒に、漁場や岩田へ出かけることが多くなった。」
 「勿論、このように激しい現実を背負ったところを、こんな方法で捕えようなどと口はばったく言ってみようなどとは考えていないが、そこに在る自然と人との造形が、総べて横にかまえた姿勢と力で、僕に一種の動機を与えてくれ、これが、僕の彫刻に、ある関連を持ち始めたことは否めない。僕のスケッチブックは、人間以外のそうした事物が大部分を占めている。」
 「今度の作品も、多分そのような関りの中で女性を語ろうとしたにちがいない・・・・・・」(本誌七月号)
なるほど、とぼくは思ったことである。ぼくが佐藤忠良に求めているのも、たぶん、こういうことなのだ。「激しい現実を背負った」ぼくたちの生活を、物語りや説明や表白に流さずに、「こんな方法で捕え」、それが「彫刻にある関連を持つ」ことなのだ。おそらく、非常に困難なことだ、――くりかえしていうが、不可能といってもいいくらい困難なことだ。が、むろん、彫刻作品は、そんな不可能と思われることを実現するところに成立する。いや、実現したときに成立する。
 「群馬の人」で、数年前、佐藤はたしかにそうしたことを実行したのである。それが、「激しい現実を背負った」ものだったとはいわぬまでも、単なる個人的なものをこえていた。むろん、そのままでいいとはいわぬ。それに、佐藤自身「激しい現実を背負ったところ」を見てしまったのだ。経験する前と、経験した後とでは、世界は全く別のものだといってもいい。経験したことを無にすることはできることではないし、また、無にしてはならぬのだ。それは軽薄というものだ。
だから、以前に帰るわけにはいかぬ。いや、そんなことは佐藤自身先刻承知である。だから、ムリと知りつつ、「こんな方法」をとるにちがいない。以前つくった「痩せた女」は、モデルの実感をそのまま素直にうけとめて表現したもので、いまでも愛着をもっていると、佐藤はいっていたが、そういう愛着をもつのは、一つには、もうそこには帰れないという一線をみずからひいてしまい、ある断絶を感じているからにちがいないのだ。
 「足なげる女」は佐藤にとって、ある新しい出発点の模索であろう。その可能性は?・・・・・・しかし、ぼくはここで、新しい具象彫刻の可能性などということを論ずるつもりはない。まだ存在しない彫刻の可能性など論じたところではじまらないからだ。

 「しかし、ぼくたちのつくるものは古い、遅れている、としみじみ思いますよ。四捨五入してしまうから・・・・・・」と佐藤はいっていた。遅れているという意識、自分の中にある古さ、それを意識することは一面たしかに重要なことだ。どうにもとり返しのつかぬ遅れの感慨は、しかし、それだけならば、明治以来、誠実な芸術家がいつも身にしみて感じとってきたことである。問題なのは四捨五入してしまうところだ。四捨五入することで、自分の感情と和解し、対象と和解し、材料と和解し、手法と和解し、結局はその中に埋没してしまう。変な比喩を許してもらえば、ぼくたちは、ものを見たり考えたりするとき、小数点以下は四捨五入して整数にしてしまうということだ。いそいでいえば、ぼくたちの視覚は、他の感覚と切りはなされた状態におかれると、整数のかたちで物を見がちなのだ。最大限、無理数までは見ない。いわば、物そのものを見ずに、最大公約数としての物の記号を見てしまう。形態感というものは、多くの場合、どうもそういうものらしい。
 それに、記憶された手法がどうしても出てきてしまうらしいのだ。ある経験をしたのちの、新しい世界という新しい酒をいれる新しいカワブクロがなかなかできない。部分的に、対象が単なる材料となって、記憶された手法の中に四捨五入されてしまうらしい。(ここで、対象と材料とを分けていったが、むろん、本格的な芸術作品の場合、分けて考えてはならぬものだ。が、ここでいう対象とは、物がそのものとして存在しているその力だといっていいし、材料とは、その力を成立させる手段だといっていい。)
 「しかし、とてもかなわない、と思う」といって、佐藤は「屋根」というイタリア映画の話をした。ぼくは見ていないが、何でも、失業者が家をつくるのだそうである。道路に家ができてしまうと法律でとりこわすことができないので、見つからぬように夜半につくるのだが、石を一つ一つ丹念につみ上げる。石だから、なかなか一夜ではできない。ぼくたちならば、簡単に、そこらの木材でも枝切れでもあつめてきてバラックをつくってしまうのだが、そんなことは思いつかないらしい。家というものは石でつくらなければならぬものと思いこんでいる。・・・・・・そんなところでつくられる彫刻にはとてもかなわぬ、というわけである。バラックに逃げるという四捨五入を知っているからかえっていけない・・・・・・
 が、そういってしまっては、身もフタもない。それでは、日本では彫刻ができないということになってしまう。いや、それならそれで、そこに覚悟をきめてしまうのも、また、一つの態度かもしれぬ。が、佐藤はそんなつもりでいったわけではあるまい。それに、どんなに堅固な材料だって、それをただ材料としてしかみなければ、いまでは機械的な操作で、柔軟なものにかえてしまえる。佐藤がいいたかったのは、たぶん、こうなのだ、―― 記憶された手法という機械的な操作で、対象を単なる材料にしてしまう術を知っているところがいけないのだ。石でつくらなければ家ではないと思いこみ、一夜でつくらねばならぬというセッパづまったときでも――いや、そういうセッパづまったときだからこそ、材木で建てることに思いつかぬこと、その強さが自分にほしいということなのだろう。
 何でも知っていた方がいいという意見がある。もっともらしいが、こんなウソはない。知らぬ方がいいことだってあるのだ。いや、理クツでは知ってはいても、イッサの場合――つまり、自分の最後のギリギリのところで勝負しなければならなくなったときには――まるで気がつかぬものがあった方がいいのである。
 そんな点では、彫刻家は質朴なものである。それに、もう一つ、この映画の話でおもしろかったのは、いったん家が建ってしまう法律ではとりこわすことができぬ、というところだ。本当か冗談か知らぬが、おとぎばなしにしても、たのしいことだ。彫刻にしても同じことだ。いったん、彫刻が存在すると、ぼくたちの、いままでの概念ではどうにもとりのぞくことができなくなるし、概念にくみいれることもできなくなるのだ。つまり、四捨五入できなくなる。彫刻は第一にぼくたちの見透しの邪魔をするものだ。ぼくたちは何としても見透しをつけようとするが、彫刻にぶつかって見透しがせきとめられる。いったん、せきとめてから、ぼくたちの心をひ
きつける――と、こんなうまく順序立つわけではないが、いってみれば、まあ、そんなものだ。
 いいかえれば、既成の概念で四捨五入せずに、それをやぶって、ぼくたちが自分で何らかの判断を下さねばならなくなる。もっとも質朴なところで判断を下さねばならなくなる。それには、むろん、作者が第一に彫刻で判断を下していなければならない。そして、その判断を下した理由づけや説明はは一切してはならぬものらしい。彫刻の本格的な強さはそんなところにあるのではあるまいか?彫刻は男々しい芸術だといわれるのも、そんな点であろう。
 しかし、写実的な彫刻の多くは、この理由づけや説明の方がはるかに多い。判断の方がなくて、理由づけや説明ばかりになっているのが日展の彫刻の大部分だといってよろしい。判断を下すのは、自分の希求とか情熱とか、一口にいえば、それをしなければ自分の存在感がなくなるというギリギリのところでしか行えぬことだ。判断に、理由づけが多ければ多いほど、判断と理由との間にソゴをきたすのはそのためだ。これは、批評の一つもやろうとするものならば、だれでも痛感することだし、実際、いま、これを書きながらでも、ぼくはそのソゴが大きくなるのを感じているのだが、・・・・・・
 詩人は批評家でなければならぬ、といったのは朔太郎だったか、その言葉を利用すれば、彫刻家は思索家である。少くとも、彫刻という、ぼくたちの概念の見透しをまずさまたげるものは、ぼくたちの思索の訓練の上で、もっとも厳格な立会人である。彫刻家が彫像をつくるとき、判断とその理由づけとの間のソゴに気づかぬはずはない。
 佐藤忠良のいまの彫刻の危機は、この判断と理由づけとの間のソゴに気づいているところだといってもよかろう。佐藤の弱さも強さもそこにあるようだ。
(美術評論家)

佐藤忠良氏略歴
一九一二年 宮城県に生る
一九三九年 東京美術学校彫刻科卒業
一九三七・八・九年 連続国画会彫刻部に出品いずれも受賞
一九三九年 秋、新制作派協会々員
一九四四年 满洲出征
一九四五年 シベリヤ抑留
一九四八年 帰国、新制作協会に出品して現在に至る

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