現代作家 サザランド
美術手帖
グレイアム・サザランド (一九〇三-)の作品は一昨年日本で開かれた国際展に「磔刑」と「パーゴラ」とが将来され、同展での圧巻だったので、記憶されている人も少くあるまい。また、ヴェニスの国際展でも大きくあつかわれて問題をなげかけ、注目をひき、英国の若い年代にかなり強い影響を与えているようだ。
彼はシュールレアリストとして仕事をはじめ、現在までの経歴において、英国独特の地味な色彩やかたちをもちつゝ、パーマーに強く影響され、ボッシュ、ブリューゲル、グレコ、セザンヌを学び、ピエロ・デラ・フランチスカに興味をひかれ、さらに、グリューネワルドの「磔刑」に感動し、これらの人々の様式にまず信従し、それを自分の絵画活動の必然に結びつけて、次第にその様式を変様していると見てよかろう。
彼が巡歴したこういう人々の名に系譜をさぐれば、サザランドが、中世以来複雑な背反をもったヨーロッパ文明の中を流れる一つの大きな伝統を恢復し、その系譜につながっていることも分る。このことはヨーロッパ全体がいろいろの意味でルネサンス以後の近世の克服という大きな動向にゆれているとき、重要な問題を提起している。
パーマーという画家はあまり知られていないが、英国の水彩画家で特異な位置を占めている。パーマーについては、いま詳しくはふれないが、ブレイクを絶対的に尊敬していた弟子である。一九世紀前半、僻村にとじこもって多くの水彩風景をかき、昂揚した情熱で自然の事象からいわば精霊的なものをひきだし、当時のロマンティシズムの一方向を代表している。その光のまばゆい動きや色彩の輝きや形態の構成に、ほとんど近代画かと思われるようなところがある。ブレイクの影響は決定的に強いが、しかし、ブレイクの中枢的な精神に影響されたというよりは、ブレイクの表現した自然の中にある神秘的な感情やプリミティヴな田園風景にのみ感動をうけ、そのかぎりにおいて影響されたというべきだろう。パーマーの位置は、近代的な意味で「超現実」と呼ばれる性格と、古くからいわれる「超自然」という性格との交点にある。
二〇世紀のサザランドが、まずこういうパーマーから影響をうけたことは、彼がシュールレアリストとして出発したことや、彼が現代英国中での色彩家だといわれることもうなずける。また、当然ブレイクにまでさかのぼることになろう。ブレイクが提出した問題は二〇世紀になってようやくその本質が理解されるにいたったことは、もはや通説だろうが、サザランドはおそらくその画のもっとも正当な後継者であろう。 ブレイクが一世紀あまりの紆余曲折をへて曲解され、ようやくその後継者を見出したという、あきれるほど遅遅とした粘着力は、いかにも英国的着実さだ。
サザランドはその画歴の初めから、近代絵画の二つの大きな課題にぶつかっている。一つは、深い奥底の幻覚、あるいは無意識の領域と結びついた不安の探究。いま一つは、絵画の二次元性の中に普通三次元乃至四次元といわれる型態や型態の動きを構成するシステムである。
この二つの課題はむろん単なる作画技法に属することがらではない。大きな社会機の中にあつて、絵画という一つの事実に、人間の生きるべき社会的をどこに見出すか、という現代の生存上の問題につながる。
どこまでいってもキリのない奥行き、深み、広がり―その中にばらまかれた無数の事物の存在の可能性やその動きの可能性―こうしたことを額縁によって限られた二次元の空間の中にのせ、それらを同時的に存在させるという、それ自体撞著する仕事をどうして実行するか? たとえば奥行きを平面に示す、近世以来の三次元的追求が生んだ透視法―および、それに附随したさまざまの方法―は一種の詐術であった。むろん、発見され、進展されていったころは詐術ではなかったが、少くとも、いまなお、これによりかゝるならば詐術というほかない。キュビスムの実験も同様である。
この問題についてサザランドは英国の風土とその伝統とに規制されながら、一つの解決をもってくる―というより、強い迫真性をもって、一つの疑問を提出している。
彼の作品には大げさな身ぶりはなく、苦悩と笑い、悲劇的なものと笑劇的なもの、沈鬱なものと陽気なものなどが一緒にあらわれ、すべて、描かれたかたちはどこではじまり、どこで終るか分らぬようにアイマイであり、しぶい、しかし強い色はたっぷりしているが、肉体的な妖気と形而上的な妖気とをはらんでいる。が、このアイマイさは、「空虚の恐怖」―空虚な空間がおそろしくて、空間の中になにもかもとりこんでゆく傾向―とは方向が逆である。
「空虚の恐怖」は急いでいえば、デッサンと色彩との不明確な野合の所産であり、サザランドの場合は明確な結婚である。デッサンと色彩とがおのおの独立した意味と生命とをもち、どちらがどちらに従属してもならず、しかも、たがいに結びついて一つの絵画をつくる―これは近代絵画の一課題である。簡単にいえば、デッサンと色彩との意味やその関係が一九世紀以前とは全く別になったのである。一九世紀までのデッサンは一つの解釈に従って、ものゝ輪郭をあらわしたのち、色彩によって食われるものだった。あるいは、その逆であった。つまり、見る主体か見られる客体か一方を固定することによって、対象の的確な描写を通して、作家の映像を定着することであった。が、主体も客体も、ともどもに動いている現代では、デッサンとは、この錯節した動きを一つの整合へと志向づける軌跡である。サザランドが英国絵画に新しい風景画の境地をひらき、革命的な色彩をふきこんだといわれることもうなずける。
彼は田舎の風景や道ばたにある生物や石ころに親しい感情をもち、その形態に魅惑される。木々、葉、茨、つた、石、虫などが彼の対象である。これはコンスタブルなどを代表とする英国の風土的性格でもあるが、しかし、サザランドは近代絵画を通ってきている。無限に延長する空間の中で、これらのかたちを提示することが、そのまゝ空間をとりとめることだった。これは、動乱する世界の動きの中に身をおいて、あらゆる見通しや予見を拒否し、自分の手のとどくかぎりの仕事を誠実に果してゆこうというつゝましい男性的な態度である。つまり、世界の動きを自分一個人で規制しまいとし、逆に、世界の動きに自分は規制され、その場に生存の確実性を求めようとする態度だ。
彼の描くかたちは笑っているようだし、怒っているようだし、はにかんでいるようだし、また、苦痛にゆがんでいるようにも見える。彼はこうしたものに、一種の匿名の個性とでもいうべきものを見出し、それを恢復させる。おそらく、それは発見ではなく、ふだんぼくたちが忘れているものゝ恢復である。いいかえれば、恢復することが彼にとって発見することである。だから、これらのかたちはそれぞれ新しい個性をもつと同時に、すべて、古来のものと同じ様相をとる。彼の描く型態がいつもその現実のモデルにまでさかのぼりうるのも、この二重性のゆえだろう。
匿名の個性とは、いわゞ、おもて立って人に見られることをしない庶民の生命だ。 しかもこの匿名の生命に対するサザランドの態度は厳しい。非情なほどの冷酷な眼がある。むろん、 愛がないのではない。非情な眼をそいであらゆる附加物をとりさらなければ、いゝ加減なヒューマニズムで蔽われた事物はもはや生きかえってはこないのだ。親密な愛情と冷酷な剥奪とは別のものではない。附加物をあたうかぎりとりさったとき、この匿名の生命にこそ、もっとも強い歴史の生命があると見た雄々しい眼である。彼の描く植物や虫はいつも人間のかたちを思わせるのだが、それは、人間の心理上のドラマをこの生命に見ようとしているからであり、また、社会的現状にするどい眼をむけているからだろう。
庶民はあらゆる政治形態の下で、いつも支配者にひきずりまわされる、というような考え方は、こゝではセンティメンタリズムでさえある。むしろ、庶民はどんな政治型態の下においても、忍耐強く、その圧力をどこふく風とうけ流して自分たちの生命を守る絶対的強者なのだ。少くともサザランドはこういう強者の恢復を希念しているようだ。
だから、彼は自然の原初的な世界を巡歴して、彼の注意はいつも事物の傷、ゆがみ、不秩序にむけられる。たぶん彼は内心やさしく、はじらいをふくみながら、いまで何百年の間、合理主義で認められ、称揚されて、確乎たる位置をしめたすべての物象をみつめ、その対象を不安定な状態にまでもちこむ。情念的に、自然の受動的な無意識をゆさぶりおこす。四周のものすべてが同等の資格で生きるという妖気はこうしたところからも生れる。彼自身、おちついてはいられないのだ。ヨーロッパの揺れを、自分の立つ地盤の揺れを、感じているのだ。主体も客体も不動ではありえないのである。
しかし、ヒステリックな狂暴性はない。熱っぽい近代絵画の揺れの中で、彼の作品には、逆に、静かな、おだやかなムードがある。中世の平面画を思わせるところもある。たぶん、彼はプリミティヴな、中世以来の写本挿絵などの様式にも心ひかれているにちがいない。版画やタペストリにかなり力をこめているのもそのためだろう。
サザランドの画を見ていると、彼はいつも自分の才能に対して警戒しているように見える。才能が事物をってしまうことを躊躇する。これは自己の存在ということに対する不信につながる。自分というものが、どこかに確乎として存在しているわけではなく、たゞ機能としてはたらく以外に手がなくなったことに気づいた以上、すべての価値は一定の尺度では量れない。地球の外のどこかに固定した一点があれば、だれだって地球をうごかすことができるが、そんな固定点はありえない。すべてのものが流動しているという、そのかねあいにだけ、存在の確実性がかっている。
こうして、彼はいま一度、事物の中にもぐりこんでゆく。彼の描く木にしても虫にしても、つよい幻想的な迫真性をもつと同時に、現実的な型態をもつ。これは抽象化の未熟のためではない。 明確な抽象のはてにたどりついた具象の復活である。 事物にもぐりこむことは、同時に、事物が魂に浸透することによって、自己の確実性をとりとめる一方法だ。彼が自然の事物を単に作画の道具として利用せず、 それ自体生命のある一個の存在としてとりあつかうのもそのためだ。英国人的体質でもある。
一九三九年に「緑の木」という作品がある。 黒い背景から燐光をはなって、こちらにそばだってくる緑の木である。ある英国の批評家はこの作品を見て、ボルゴ・サン・セボルクロにあるピエロ・デラ・フランチェスカの「クリストの復活」を思い出したといっている。一見トッピな類推のようだが、この結びつきは決して卒爾ではない。 悦びというよりは、厳粛で深刻な、この「復活」とくらべていたゞきたい。
一九四四年 「ベンブルクシア風景」 その他の風景画に、ボッシュからブリューゲルにいたる奇怪さと親密さとを見ることは容易だろうし、空や前景の燃えるような効果はパーマーとの根深い関係が見られるが、しかし、もはや、パーマーほど神経質ではない。いわゆる表現主義でもなく、ロマンティシズムでもない。 二次元の中での空間の表現である。
たぶん、二次元の空間に、描写と表現との相違を明確な意識をもって厳格に区別したのはセザンヌであり、近代画家で、この高峰から影響をうけぬものはないが、しかし、それだけに、この複雑な画家の影響を性急に見てとるのは危険である。 セザンヌにふれるにはもう少しまたねばなるまい。
こんな経歴をへたのち、一九四七年ノーザムプトンの聖マシュー教会の壁画「磔刑」が生れる。先年日本に将来されたのはその下絵である。第二次大戦を通して近代の機械的世界や政治的機構の中で、二〇世紀の非道を知った感情にゆさぶられ、グリューネワルトのイーゼンハイム祭壇画に傾倒して描かれたものにちがいない。
グリューネワルトの作品はもはや有名だから説明は要しまいが、その凄惨なクリストの死体は、多くの聖像画に見られる優雅なクリストではない。クリストの肉体にはあらゆる汚藤が加えられる。むろん、カトリックを否定するのではなく、最も敬虔な心で、カトリックの最も重大な問題を恢復し、呈示したのである。あるいは、北欧的宗教感情が、優美な中世聖像画の甘い、宮廷的、現世的な理想主義に反撥した象徴的な典型だともいえよう。
しかし、グリューネワルトのクリストはメッタヤタラな傷をうけながら、まだその肉体は張り切っているのに対して、サザランドのクリストはもはや弱く、しずかである。グリューネワルトのクリストは死んだばかりで、まだ温いが、サザランドのクリストは死んでからすでに何年もたっている…いや、はるかな昔から、二千年のあいだ、誰にも見捨てられて十字架の上に死んる…おそらく、この辺はルネサンスの時代精神と、現代の時代精神との相違だろう。
とはいえ、現代は、神の名は口に出すさえ困難な時代である。こんなときに、なお、聖象画を描くとはどういうことか? しかし、これは、いまこゝでふれるにはあまり大問題すぎる。たゞ、ルオー以後、クリストのすがたをサザランドほどに描いたものはあるまいとだけいっておく。
この「磔刑」を描いたのち、彼は冠にひきつけられ、「いばら」を連作している。 虫、木の実、 葉などと同様、苦痛にゆがんだかたちだが、落ちつきと明るさとをもってきている。
五〇歳をこえたばかりのサザランドがこれからどういう経歴をたどるか、ぼくにはたのしみである。