牛島憲之の作品
みづゑ
牛島憲之の作品の様式についてどう思うか?というのが、ぼくにいま与えられた問題である。どう解答しようか、と考えていたが、とっさにうまい解答などはじめからできそうにない(こんなとき、とっさにうまい答えができると、ぼくの書くものも多少はマシなものになるとは思うのだが・・・・・・)
たとえば、いわゆる美術史的に位置をきめる、となると、これは大変に困難なことだが、同時に、常識的、あるいは、ある一定の方式に従って図式的にやれば、容易すぎてどうにもならぬ。方程式の網の目をはれば、それだけで、一応何でも網の目にひっかかった気にはなるものだが、さて、そんな網の目からもれたところに作品は成立しているといった具合。 様式論にしたって、 むろん、そこからはじまらねば、貧寒なものだ。それに、いま極端に時間がない。やむをえぬ。思いつくままに、よしなしごとをかきつける・・・・・・様式論にはならない。
──旅先きでは仕事ができない。自分の家でかかないと、どうしても不安だし・・・・・・と、いつだったか牛島はそんな意味のことをいっていた。自分の家──日常生活している場──で、もっとも身近かなものをかかぬと、作品にならぬようだ。自分の存在を筆触にたしかめながら、それだけ、日常のおもりをもって、うちにこもる気質なのだ。エトランジェには生活がない、と誰やらもいったが、牛島は生活のおもりから切りはなされた才能などを、頭から信用しないにちがいない。作者不在のまま、対象を即物的に描写することもできないタチらしい。
作品はいつも、ホワイトの中にしずめたモコとしたフンイキの中で、しずかに詩をくちずさんでいるかのようだ。寡黙で、声高には語らぬが、余計なアクセサリーははぎとっている。
こういう性格の人は、モチーフを見つけに遠くへ旅する必要がないのだろう。風景は、生活からはなれたら、どこへいっても同じことになってしまう。つまり、モチーフがないのと同じことなのだ。牛島のモチーフは普通の意味では、そうちがわない。鉄筋の橋、コンクリートの道、倉庫、クレーン、それに山道、河沿いの道・・・・・・そうしたものの、ほんの微妙な相違が、モチーフを呈供するらしい。
といって、むろん、モチーフをみつけるのが容易だというわけではない。 現実には存在しないかのようなイマージュをもとめて、対象を自分の体質の中にひきこみ、ドンランになめつくすようにながめて、それからふたたび三たび、外部に出してくるようだ。そんな風にして、牛島特有のイマージュが出てくるにちがいない。自分の情感と視覚とをやしなった風土や、その中のいろいろの事象に親しみ、庶民的な質朴さをもっているのも、一つにはそのためなのだ。
牛島の作品は「現実の影さえもはばかるような、音一つさえない慎ましい閑雅からえがかれるのであった」と、田近憲三は書いている。「・・・・・・また扱う状景にも現実の無残を回避して夢見の中から描写した。その川添いの工場や対岸に横たわる橋梁など、本来は生活の垢に黒ずみ、俗悪きわまる姿をあらわすが、それらの貧しい風景は、イマージュに洗われ、浄化されて、淡雪のようにはかなくも、楽しくもまた消えやすい面影として画面にえがき出されるものであった。流行の流転に関係もなく、画壇の動揺からも遠ざかって、牛島憲之は今もなお生活によごれた風景までも空想にとかしてえがいている。」
これは、ちょっと読むと、生活のおもりからはなれぬといったぼくの考えと逆のようだが、別段、逆でもない。こういういい方をすれば、たしかにそうなのである。あの白昼夢のような画面・・・・・・
だが、牛島の感じているものは、夢が、そして、イマージュが消えやすく、こわれやすいということだけではなかろう。現実は夢と同じ質料でできている、という言葉があるとすれば、現実もこわれやすいものにちがいないのだ。
鉄筋の工場も、橋梁も──本来は堅固なものとしてつくられたものだが──こわれやすいことを感覚的に知っているにちがいない。が、またそんなことだけではあるまい。それだけならば、受動的にだれだって分ることだ。
たぶん、こうなのだ──たとえば、戦争の惨禍にしたって、生き残ったものにとっては、 すぎさった一つのアクシデントにすぎぬ、というような、気遠くなるような、こわれやすさ、たよりなさなのだ。生き残ったものと死んだものとの区別は、たんなる偶然であった、として、ベンベンと生きてしまう、生きるもののたよりなさなのだ。過去にひきずられるということではなく、過去におこったことを現在にうけとめていない生活──それはもう生活とはいえないのである。だから、誠実に生活しようとして、こわれやすい夢を、というよりは、現実には存在しない夢を求めて、モチーフをさがすのだろう。
むろん、そこには愛惜の情もあるにちがいない。道をゆく馬車、鉄橋をはしる汽車など童画とは全くちがいながら、それとすれすれの郷愁を感じさせる作品がある。失なわれようとするもの、消えてゆこうとするものへの愛情でもあるが、これは同時に、すでに失なわれ、消えさってしまったものへの愛情でもある。失なわれることをすでに予想してしまったもの、それはもう失なわれたと同じことなのだ。
「流行の流転に関係もなく、画壇の動揺からも遠ざかって」いるのは事実だが、生きることの激しさに遠ざかっておだやかな「空想」に浸ってばかりいるわけではあるまい。自分の身をあやうくするような激しさ、──それを現代に生きていて感じないわけはあるまい。先刻承知なのだろう。だが、いや、だから、ここで一緒になって、揺れさわぐのは不毛だ。それでは自分の存在に対して不誠実だという意識をもったにちがいない。あせればあせるほど、どうにもならなくなる。当然である あせることは、ほかならぬ自分自身をまっさきに軽蔑してしまうことだから。
自分の小さな世界をじっと守ろうとするかのように沈着である。極小の世界を守って、自分の言葉で、小さな花をつくる。このことは、自分の小さな殻にとじこもるということではない。自分の小さな穴から出たら世界は大きすぎた、という言葉があったが、殻をやぶって世界の大きさ、手に負えぬ大きさを知ったからこそ、自分は自分なりの極小の、ほんの身のまわりのものをもった自分の存在をたしかめねばならなくなったのである。
そこに覚悟をきめてしまえば、これはこれで、外部の事物を受動的におかれたままにしてはおくまい。橋梁にしても工場にしても道にしても、普通ぼくたちが感じているもの、──というより、多くは、通有的に記号で読んでしまっているもの──から、ある生命をすくい出してくることもできるのだ。「積わら」などは、シュルレアリスムでもアニミズムでもないが、まるで人に知られず生きている生きもののものに触手をうごかし、呼吸している。外部のものが、それ自体の生命をもってあらわれれば、ほとんどアニミズムにちかくなるが、むろん、これは原始人のアニミズムとはちがうだろう。物が名称という記号のあらわす通有的な意味を失なえば、シュルレアリスムに近づくが、むろん、牛島の場合は、それとはちがう。
それに、ここまで極小の世界に入ると、感覚は、触覚にちかくなる。絵画はあくまでも視覚によるものだといったところで、実際は、 ぼくたちはあらゆる感覚を動員しているにちがいない。 それに視覚が他の感覚から切りはなされると、物を見るかわりに、記号を読みやすい危険がある。ぼくたちが見ているつもりでいるものは、多くはヴィジョンにすぎない。記号にとりまかれた幻覚の中で、極小の物は思いがけず、力を発揮するものだ。
しかし、・・・・・・(またしても、またしても、この、「しかし」がでてきた。ぼくは何度、この「しかし」をいっただろう。まるで、「しかし」がなければ批評が成立しないとでもいうかの如くである。)
しかし、 牛島の場合、いたわりの気持があるようである。ありすぎるようである。外部のものに対しても。また自分自身に対しても。
むろん、いたわりの気持を悪いというのではない。むしろ、たわりの気持は芸術家が最後のギリギリのところでもっている最も貴重なものだといいたいくらいなのだが、いたわりの気持が貴重だからこそ、それとは丁度逆のように思える、ある惨酷さがほしいのだ。牛島は自分の世界の中に対象をあまりに和解したかたちでうけいれてはいないのだろうか?
普通ならこわれやすい、はかない夢も、現実も、人間がいさえすれば、こわれはしないのだ、と、つっぱなしたところがほしいのである。
むろん、いまのところ、これはないものねだりである。が、絵画が現実にないものを求めるのと同じく、批評もまたないものねだりにならざるをえないのである。