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架空会見 ジオット

美術手帖

 家を出たには出たが、何だか分らぬところがある。頭の中に、自分のさぐりえない部分があって、そこをさぐろうとするが、とどきそうでとどかず、もどかしくてしかたがない。だいたい、こういうのは陰性でいけない。チョウでもヨウでも、外に出るヤツは、まだ正直で、シマツがいいし、カワイげがある。脳の中にくすぶって出てこないというヤツはジメついて、性悪だ。こんなのはきらいだ。
 きらいだけれど仕方がない。何とかその部分をつかまえなければならぬ。・・・・・・どうも、その部分はタマゴみたいな恰好をしているらしい。タマゴの殻の中は、がらんとして妙な音を立てているようでもあり、何かいっぱいつまっているようでもある。・・・・・・それに妙に寒い。
 ところで、ぼくは何で、こんな寒い夜、歩いているのかナ、そうそう、ジオットに会いに行くのだ。いや、より正確にいえば、ジオットがぼくに会いに来るはずになっている。と、すると、このタマゴの中には、ダーク・エイジがつまっているのかもしれないナ。
 ジオットが来るのなら、むかえに行こうかとも思ったんだが・・・・・・丁度、富士山の上あたりで出会えば具合がいいからナ・・・・・・だが、考えてみれば、六百五十年も前からやってくるのだから、どうせ、空飛ぶ円盤とか、何とかロケットでやってくるにちがいないし、そうなれば、すれちがうだけだし、万一、うまく出くわそうものなら、ぶつかってこわれてしまう。
 こわれてしまう・・・・・・ふん、そうか、こわれれば、このタマゴの殻もこわれて、うまいことになるか······地球爆破というヤツだな。
 「センセ、タマゴくれない?」
 「なに?」
 気がつくと、有楽町のガード下である。風がひゅうと吹いてきて、女の髪の毛がぱーっとひろがる。
 「センセ、タバコ一本くれない?ねえ」
 ああ、タバコか?タバコ、タバコ・・・・・・女は走りすぎるように歩いていってしまった。
 だが、何だって、アイツはセンセなんていいやがったんだろう。センセにはちがいないか?いや、そんなことはどうだってよろしい。とにかく、ジオットがやってくることになっているのだ。むかえに行かなくたって、こちらが歩いていれば、むこうから、ちゃんとねらいをつけて、目の前にやってくるだろうさ・・・・・・やって来なければ、それもよし。会見できなければ、編集者にあやまってしまえばいい。
 スキヤ橋か。ハハア、すれちがいのほったんだな。それにしても、あらわれるなら、もう、そろそろやってきてもいい時分だが・・・・・・
 夜の空にピカッと光った。おや、ドンとくれば地球爆破だぞ・・・・・・

 いくら待っても、ドンがつづかない。ピカも消えない。はじめは、星のように小さかったが、それが、ふらり、ふらーりとゆれながら、だんだん、大きくなる。近づくのを見ると、ぐるぐる超スピードで旋廻している。スキヤ橋の、ぼくの目の前に、ふーっと浮いた。まだ、ぐるぐるまわっている。猛烈なはやさで、自転しているために、光っているという具合だ。
 あまり、まぶしいので、徐々に立ち上らねばならぬ。なんていったのはフラ・アンジェリコだったかナ・・・・・・などと思っていると、いったのはフラ・アンジェリコだったかナ・・・・・・などと思っていると、い。つの間にか、とまって、人間が立っている。 ジオットにちがいない。ヴァサーリの「美術家伝」にのっている肖像と顔はそっくりだ。顔はそっくりだが、なりは、セビロにオーヴァーで、モダンに着こなしている。
 「ジオットさんですね」
 「やあ、オカモトさん。しばらく」
 しばらくもナニもあったものか、はじめて会ったくせに。
 「いや、はじめてじゃないさ。君がぼくを見れば、ぼくだって君を見てるわけじゃないか? それが、君の持論だったろう」
 「そう、さきまわりされてはこまるナ」
 「ぼくの方から会いに来たんだから、そのくらいのことはいわせたまえ」
 「ところで、セビロにオーヴァー、それにマフラー、靴・・・・・・どうも、君のそのなりは、顔とつりあわない」
 「ナニ、そのうちにつりあってくるよ。一時間もすればね。心配はいらない。衣裳というヤツは、いつも、つけかえるだけの話さ。この辺を歩いている日本人のセビロだって、これで結構、おかしくないよ。日本人がセビロを着てから何年になるね。それに、いまは何年だ?」
 「一九五六年」
 「そらみたまえ。 一三〇〇年からここまで六百五十年の距離がある。ぼくはその間を三時間でとんできたんだ。一時間もすれば…」
 「君はちゃんと日本語で話すんだね」
 「別に不思議はないだろう」
 「絵の方が通じにくい、というシャレじゃあるまいね」
 「シャレじゃないが、同じくらい通じにくいし、同じくらい通じやすいさ······いや、これも、君の持論だったね」
 「なんでも知っているね。ところで、一つ、あやまっておきたいのは、花の都のフィレンツェから、こんな貧弱なところへ来てもらって、なんのもてなしもできないのだが」
 「どうして、どうして、結構たのしいよ」
 「十四世紀、それは金の登場である。なんていったヤツがいるし、花の都をたたえた言辞はいまだにつづいているんだ。たとえば、こんな具合だ・・・・・・」
 「まあ、よしにしておけ。 ききあきているんだ。それに、日本だって、むかしの歌があったじゃないか、なんといったかな、そう、ナラノミヤコハ咲ク花ノとか。しかし、その中に住んでいれば、そんなに、いい時代でもないさ。ただね、ぼくは思うんだが、時代にエネルギーとヴィルトゥというヤツはたしかにあったね。ぼくの友人のダンテが追放されたのも、例のコメディを書いたのも、ベアトリーチェに魂を捧げたのも、みな、エネルギーといえば、エネルギだ。日本も、だいぶ活気がある様子じゃないか?」
 「ふんふん、・・・・・・・魂を捧げる。・・・・・・こいつはどうも、いまの日本語の辞書にはないらしい・・・・・・その辺で、君の絵の話に入ろう。君は何百年間、ほめられっぱなしだな。ボッカチョでも、ヴァサーリでも・・・・・・カルロ・カルラでも・・・・・いや、こんな話も、耳にタコができるほど聞かされて退屈だ、という顔をしているね。
 が、話の順序だから、まあ、もう一度聞きたまえ。簡単にいうからね。アッシジ、パドゥア、フィレンツェ、などの壁画で、二次元に造型空間をつくって、人間のドラマを表現した、というわけだ。ところで、ぼくはこう思うんだ、・・・・・・クリスト教というのは、はじめ、眼に見える神を否定して、声としてしかきこえぬ神を信じたわけだろう。つまり、言葉としての神を言葉の造型でとらえようとしたわけだ。ところが、人間は不可視の神を信じ切るほど強くない。だんだん、言葉の造型性を、絵画や彫刻の造型性にまかせるようになった。ところが、その造型性が固定すると、聖像学というヤツがおきる。聖像学のキュウクツがいやだという連中は、絵の縁などに、心のおもむくところをかいて、気をはらしていた・・・・・・ところが、それでは、聖像学を克服することにはならない。脱出ではあってもね。そこで、君が出てきた。聖像学に従いながら聖像の造型性を恢復したのは君だと思う・・・・・・恢復というのは発見であり、発明だがね」
 「もういいだろう。その通りだ、といっておこう」
 「もう一つ、聞きたいのだが、たとえば、アッシジの絵は、いまでは、だいたい君の作品ではない、といわれるんだ。小鳥の説教>だけは、しかし、君の作かもしれぬといわれているね。この辺はどうかな」
 「ぼくは、君、ここへ来てから、まだ五分もたってないじゃないか?六百五十年前の、そんなササイなことは、急には思い出せないね。忘れたよ。しかし、真贋なんて、どうでもいいじあないか?ぼくのでない、ぼくの絵がほめられたって、そう神経質になることはないよ」
 「それも、そうか。ところで、君に感心するのは、たいてえの画家は、ほめらられると、テレるか、それとも、そんなこと知らぬというような恰好をするものだが、君はほめられるたびに、当然のことのようにうけとるね。まるで、手の指は五本で、タコの足は八本だといわれたみたいに」
 「ぼくの技術がぼくの唯一の財源だくらいのことは、ぼく自身知っているからね、あの金の登場した時代に。それに、ひとつはナレッコになっているんだ。君はボッカチョだのヴァサリなんかの名を出してきたが、もっとはやくからほめられていたからね」
 「そうそう、第一、君の友人のダンテがほめていたな、―
  チマブエは画壇の雄と思いたりしに、
  ジオットのよび声いまは高くして、
  かの人の聞えかすかになりにけり。
 つまり、 チマブエをのりこえたというわけか。
 それに、聖マリヤ・デル・フィオレ寺に碑があるね。―
  既に絶えし絵画を再興せるは我なり、
  我が手は自然に恵まれたれば、そをなすはいと易きわざなりき。
  我が芸術に欠けたるものは我等の性にも欠けたり。
  されど、これよりも多く、また、これに勝りて描くことは何人にも許されざりき」
 「まったく、勝手にしろだね。が、そのくらいの自信はあったよ。自信というより、事実としてうけとっていた」
 「まあ、絵の方はその程度でやめておこう。今度は、君にまつわる伝説だが・・・・・君が子供のころ、フィレンツェ郊外のヴェスピニヤノの丘で羊を写生していたのをチマブエに見出されたというのは、ほんとのことか」
 「そんなこと、まだ、思い出せないよ。ほんとかもしれぬし、単なる伝説にすぎないかもしれない。もう少しすれば、思い出すかも知れないがね。が、まあ、そうだというのなら、そうとしておこうじゃないか?伝説というヤツは嘘とはいえないからね。民衆の総意で、そうきまったのなら、そうだということになってしまう」
 「民衆の総意? そんな言葉も知っているのか」
 「もう七分くらいたったからね。それに、当時フィレンツェでは、そんな言葉もいわれていたんだ」
 「君の、そのヴェスピニヤノだがね。先だって、ラスキンに会ったら、こんな風に描写していた―」
 「いや、あれはよさそう。あの美文調は、ぼくでもテレるからね」
 「しかしね、ラスキンの時代は、あんな調子をつかうことで、追体験しようとしたんだ」
 「変な言葉だけれどね。ドヴォルシャックが、この間、中世はわれわれには追体験できない、となげいていたよ」
 「ハハア、・・・・・わかった。それはね、遠隔操縦を知らぬからだ」
 「遠隔操縦?」
 「つまり、絵をかくなんてことは、まあ、いってみれば、遠隔操縦だよ。少くとも、その時代に第一級の本物をつくれば、あとは自然に作品が遠隔操縦するわけさ。だから、ぼくの知らぬ連中が、わざわざ、パドゥアだの、アッシジにやってくる。現に、君はここにきているじゃないか?」
 「すると、ぼくの脳の中のタマゴは受信器かな」
 「脳の中のタマゴ?なんだい、それは」
 「いや、こっちの話。つまり、君の話だと、抽象的関係を具体的に感じること・・・・・」
自動車がすっとわきを通りぬけた。ここの横断はどうもあぶなくていかん。ここの四ツ角は、あまり、交通がひんぱんすぎて、ゴー・ストップがない。いつも、ここでは、冷やあせをかくのだ。
 「君、だいじょうぶか? フィレンツェでは、こんな、あぶなっかしい道路はないだろう」
 「いや、危なかった。が、もう、だいたいなれたよ。この程度の空間と、この程度のスピードなら、まあ、処置できる」
 「そうか、六百五十年を三時間でとんでくるのだから・・・・・」
 「いや、そうはいかん。こんな恰好をして、こんな場所にいると、やはり、それなりのスピードに適応せざるをえない。遠隔操縦するのは、ぼくのからだではなくて、絵だからね。その点は、まちがえないでくれたまえ」
 「では、もう一度、絵にもどろう。パドゥアの、クリストとユダの絵だが、あのクリストの目は悪魔を見たことのある目だね」
 「それはそうさ。聖書にかいてあるもの。だが、あのときは悪魔を見ているのではなく、ユダを見ているんだ」
 「ぼくがいいたいのはね、君も悪魔を見たことがあるだろうということだ」
 「なるほど、いや、しょっちゅう見ているよ。ときどきあらわれるんだ。丁度、あの絵をかいているときにもやってきた」
 「十字を切らなくて大丈夫か?」
 「君はクリスト教徒でもないのに、よけいなおせっかいをやくね。いま、十字を切ったって、ダメさ。十字を切るくらいで、悪魔はなくならない」
 「どんな恰好をしている?」
 「普通の恰好だな。そのとき、そのところに、だいたいあっているんだけれど、まあ、ちがうといえば、その時代の衣裳より、ちょっとばかりーほんのちょっとだけー古い服をきているようだな。それも、目だたない程度に。そして、オタメゴカシみたいなことをいって、ごまかすよ」
 「インク・ビンをなげたら、逃げだすか?」
 「インク・ビン? ああ、とてもだめさ。いらだって、絵具をなげたって、絵筆をなげたって、うごくもんではない」
 「しっぽを出さないか?」
 「悪魔にはしっぽはないね。しっぽがあれば怪物だ。怪物はタイジできるが、悪魔はタイジできない」
 「タイジできるものは、そうか、イエスだけか?」
 「イエスの名をいうのは、いま、やめよう。それに、悪魔だって、日本にはいないっていうじゃないか」
 「怪物ならいるがね。」
 「抽象的怪物だろう。そいつは、どこにもあるさ。この間、といって、六百五十年前のことだが、皮膚のうち側に狼の毛がいっぱい、はえているという女がいてね。変な女だったが……眼はとてもきれえだった。邪気のない眼だし、澄んでいるといってもよかった。その女が、狼の毛であばれ出すのだ。仕方がないから、みんなで、とりおさえて、胸から腹をわって、皮をひきむいたそうだ」
 「その女は、タマゴをくれっていわなかったか?・・・・・いや、そこで、怪物というのは、その女ではなくて、女をそこにおいやったり、女の皮をはいだ機構というわけだね。まあ、その程度の抽象的怪物は日本にもある。しかし、そいつは、今度、ぼくが君の工房をたずねたときに話すとしよう。······ところで、もう一つ、伝説があるんだ。ジオットの円というヤツ。あれはほんとかね」
 「冗談じゃない。思った通りに線がひけるなんてことはあるわけがない。いくらナンでも、こいつはウソだね。輪郭が私を逃げるって、うまいことをいった男がいたじゃないか。デッサンということ
考え方だがね」
 「ところが、ぼくは輪郭が逃げなくて、こまっているんだ。脳の中に、タマゴ型の輪郭があって、どうしてもこいつがこわれない」
 「はは、タマゴ型でしあわせだ。ジオットの円よりまるかったらこまるからな。それは冗談。君自身遠隔操縦をやってみたまえ。そうすれば何とかなるさ。そうでないと、それこそジオットの円よりまるくなるだろうからね。さて、もう十分位になるだろう。ぼくはもう帰るとしよう。今度は、君がぼくの工房をたずねてきたまえ」
そういうと、ジオットはまたくるくるまわり出したが、それを見ているうちに、ぼくの脳中のタマゴもまわり出して、大きくなり、頭の中一杯にひろがったと思うと、ふっと外へ出ていった。ぼくは銀座の尾張町に立っていた。

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