成熟の秘密
芸術新潮
成熟の秘密すさまじい題である。
成年といふことを二〇世紀の造形藝術にそくして考へるとき、いつも、ぼくはセザンヌのことがまつさきに頭にうかぶ。といつて、こゝでいきなりセザンヌのことをいふのは氣がひけるのだが・・・・・・しかし、ロマン主義の末期的症状があたりをとりまいてゐるとき、まるで神への信仰をも拒絶したかのやうに、物をみつめ、繪画といふ事實によって、物を消却していった精神――そして、つひに、いや、はじめから、丁度、サント・ヴィクトアル山がモチーフとしていつも存在したやうに死がそこにあるから、死を消却してゆかうとした精神──そこからはじめねばなるまい。
「輪郭がぼくから逃げる」――青年であったなら、からいふナゲキ方はしまい。情感が一方的に對象にはたらきかけ、輪郭を膨張させ、境界線をアイマイにするからである。「絶對の孤獨へセザンヌは歸って行く」とベルナールは傅へてゐる。青年の孤獨ならば、境界線のアイマイな中で、孤獨をうたひ、うたふことによって、孤獨と和解する。抵抗をうたふととによつて、抵抗の對象とすら實は和解する。
が、セザンヌにとつては、いつも外に存在してゐる物は和解しえぬものだったにちがひない。既成のかたちがそこにある、といふことが我慢ならぬいらだちをおこさせた。それは、いつもひとを「籠絡」しようと、まちかまへてゐるからだ。既成の概念で興へられた輪郭を消却して、別の輪郭を造形しようとする意志がはたらく。
すさまじいのは、死すら「物」として感じざるをえず、死とすら和解しえなかった「絶對の」孤獨感である。死といふことは、なにかしら、和解の感情をいだかせるものである。「死はねむり・・・・・・しばらくは、夢をみよう」さういったときハムレットは死と和解し、自分の青春を完結させた――といふより、實は、ハムレットの青春を死と和解させることで完結させたとき、シェークスピアは成年であることを示したのである。つまり、死と和解しえぬ成年の、すさまじい孤獨を承知してゐたのである。
セザンヌは、しかし、青春を完結させる術を知らなかった。ドラマと繪画との相違でもあらうか?セザンヌにとつて、なにか繪画にかはるべきものがあったとすれば、(かういふ決定法は實際は成立しないのだが、あへて決定法をつかへば)、繪画など、どうでもよかったことにちがひないが・・・・・・和解しえぬ死を、まつかうから消却しようとして、繪画にむかはねばならなかったのだらう。キチガヒ沙汰としか思へぬ神経症的言動も、この邊に起因してゐる。
「モチーフに行くのだ」といふとき、たぶん、死を消却しに行くのだといひたかったのだ。成年の秘密を深々と感じさせる、鬼氣せまるやうな、猛烈な合理精神である。
青年の飛翔する感情や、その動きが、セザンヌを退屈とみるのも、この合理精神のためではあるまいか?が、はじめ、退屈と思ってゐたところに、何か重大なものを見出したとき、人は成長してゐたといふこともある。こゝにあげた何人かの二〇世紀の藝術家たちは、セザンヌの中に、この重大なものを發見したときから、成年に達した、とぼくはいつてしまひたいくらゐである。少くとも、セザンヌの合理精を考へずに、現在の藝術家の成熟を考へるわけにはいかぬやうに思はれる。
二〇世紀はルネサンスだ、といふやうな言葉をときをりきくことがある。ぼくは反對しないことにしてゐる。一九世紀までの合理主義の成果から何らかの轉換を餘儀なくされてゐるといふことからしても、たとへば、外攻的民族主義から「内攻的民族主義」への轉換でもよし、ユークリッド幾何學から非ユークリッド幾何學への飛躍でもよし、その他何でもよろしいが、造形藝術の世界でも、驚くべ飛躍があったのはいまさらいふまでもない。
ところで、ルネサンスといふ意識は、よほどの例外は別として、たぶん、いつの時代でも、たいていもつてゐたものである。この、たぶん、いつの時代でも、といふことが大切なことなのだが、つまり、その時代の人は自分の生きてゐる時代をルネサンスと思はねばならなかったといふことである。そして、その意識は、かならず、一方では――古めかしい言葉をつかへば――ギョウキ末世といふナゲキと共にあった。
ルネサンスにしても、文藝がさかんだつたのは、平穏無事天下泰平だったからではむろんない。いやらしいまでの――大惡人のほかはなにもゐなかったと思はれるほど悪人の輩出した――世俗的權力欲と、その悪人たちがあらんかぎりの頭脳をしぼつての權謀術数の時代であった。二〇世紀の世俗的權力欲と權謀術数とは、ルネサンスのころよりも、はるかに大規模になり、抽象的になり、複雑になつたと一應いへる。(一應いへる、といふのは、ルネサンスの時代より現代の方が複雑だとは、もつともらしく、また、それにちがひはないのだが、この論法ははなはだ常套的で、ぼくは好かないし、また、實際には、少くとも立體的には、正しくないと思つてゐるからである)。
あらゆる機會に、あらゆるものを利用して、ひとをおとしいれようとし、あざむかうとして、謀術数がまちかまへてゐるとき――しかも、人がまちかまへてゐるばかりでな路傍の石や木や、サント・ヴィクトアル山やコップまでがまちかまへてゐるやうなとき、藝術家が藝術家として成熟するためには、政治家の政治學とは別の、精神の政治學がなければ不可能であらう。 處世家の處世術を上まはる大變な處世術を身につけねばなるまい。ユマニスムの底邊あたりに流れてゐる冷血ムザンな處世術をつかまへずに、合理主義も民主主義も個人の確立もありえない。まして、藝術家の成熟はありえまい。
合理主義、民主主義、個人の確立、藝術家の成熟・・・・・・さうした成果をお題目として頂戴すれば、あざむかれるにきまってゐる。まるで、ぼくたちにはあざむかれたいといふ欲求があるかのやうに、うまくあざむかれるものである。
セザンヌはいつも籠絡の陥穽をおそれてゐた、と傅記作者はつたへてゐる。 セザンヌにも、他人があざむくよりさきに、自分にあざむかれたといふ欲求があったにちがひない。だから、セザンヌがおそれたのは、他人の籠絡そのものではなく、自分の欲求のために他人が籠絡をしかけてくることにあったと思はれる。自他の日常的な善意を籠絡として拒絶しなければならなかったほど、「リアリズムの底」を見つめてしまったといふことなのだ。路傍の石も木も、山もコップも、そして、人間も、すべてを等質にし、消却するまで見つめねばならなかったのである。あざむかれずに愛するために。
あざむかれずに愛すること――そんなうまいことが實際にできるかどうか、ぼくは知らない。が、少くとも、あざむかれたまゝで愛する氣になったり、あざむかれたのが分ったからといって絶望することは容易だし、また、あざむかれまいとして愛することをやめてしまへば、成熟を拒絶することになるばかりか、人間失格である。成熟の秘密はあざむかれずに愛する術を身をもって知るといふととろにあるのか、と、ぼくはオクソクするのだが――この邊はもうぼくの手におくない。
が、このルネサンスといふエネルギーとヴィルトゥの時代には、そんなすさまじい實行力がいるやうだ。それぞれの藝術家の成熟の過程は圖版で見ていただきたい。(美術批評家)
ルオー
(1871−)
一九〇〇年以前の作品は、いはゞ勉強時代のものだが、すでに後年の特徴が豫想される。最初の作品には、作家のすべてのもの、少くともその可能性が包含される、 といふだけのことではなく、ルオーのやうに一直線的な發展をとらぬ画家の場合は、成熟してからの作品から逆に青年期の作品をたどらねばならぬやうなところがある。
一九〇二、三年から数年間、つまりサロン・ドートンヌ結成のころは、娼婦、罪人、道化の中にもぐりこんで、醜い形態をうけとめようとするかの如く、 まがりくねった黒い奔放な線があれ狂ふ。社會といふ人間の連帯關係が何ものかの犠牲においてでなければ成立しえぬといふ、氣も遠くなるやうな事實にぶつかり「罪の咬傷」に呻吟し、孤獨におひつめられた青年の激情がのたうつやうである。
一九一〇年前後から太い輪郭があらはれるが、絶対的な孤獨を認めた上で、物の輪郭をかたちづくらうとするのは成年への無意識の意志かもしれぬ。一九一六年ころからは、暗澹としたものは次第にとれ、かつて怒り狂つた線や色は、幅のひろい、無限のさびしみをもつた静かな和音のやうな明るさと静けさをもつてくる。
「あまりふんぞりかへつたり、心配したりしないで、現實に直面して戦慄することなく、内面の平和を保つて生きるやうに心がけなければならない。」といふ。現實に受けた傷は克服すべきもので、見せるものではない、といふ成年の雄々しい決意が、厳格な輪郭をつくり、探りがたい深みから精神がすき通ってきて、透明な清澄さの中に、見るものを誘ひ、生きるといふことの意義と静かな勇氣とを與へてくれる。
最近の作品は、繪具をものすごくもり上げ、全體にまぶしいやうな光を出してゐる。生涯誠實に激しく生きぬいた人間の厚みかもしれぬが、これはもはや成年の藝術ではなく、老年の藝術といふべきであらう。
マチス
(1869―1954)
若いころには、青年特有の情熱と覇氣と流暢さがあるのは當然として、若さをすゝんでうけいれ、流動する動きを大切にしてゐる。青年の若い流動の中で、すべてのものが調和する。つまり、作者にとつて、おそれるものはなにもなく、作者は對象とも材料とも、また自分の気分とも和解してゐる。フォーヴのころでも、激しさをあらはすことで、激しさと和解してゐる。
が、その最高調で、マチスは青春と訣別を行つてゐるやうだ。 流暢なものに対して警戒をはじめる。それまでの線は、一つ一つ、それ自體の物語りを語り、うたをうたってゐたやうだが、こゝでは、マチスはその自由をため、物が質料をもち、厚みをもち、作者の解釋のきかぬものとして存在する、その空間の厚みを全體としてとらへようとするかのやうだ。
いひかれば、自分の流暢さと和解しがたくなるまで、外部の物の力を感じるにいたったとき、マチスの成年期がはじまる。
克明な線の、肉附けや明暗の訓練ののち、やがて、決定的な線をひくやうになるのだが、まるで、長旅の重荷をおろしたやうな開放感がでてくる。骨格が強くなるとともに、感覺が豐かに開放され、作品が透明になるが、この透明感には非常にきびしいものがある。いはば、物の裏側まで見てしまった冷徹さである。感覺の豊かさ、色彩のつややかさの中に、底びえするやうな冷たさを感じないだらうか。非情ともいへる冷たさだが、物の厚みをうけとめるには、現代では、この、つゝぱなした冷厳さがいるのだ。
この冷たさがあればこそ、ヴァンス禮拜堂の敬虔な繪がやうやく支へられるにちがひない。聖者に對するやうに、繪画に對して敬虔である。非常に厳格だが、自分の肉身に對して厳格なのではない。和解以上の
ものかである。
ムア
(1898―)
彫刻作品が現代に存在しうることのむつかしさ――つまり、現代のぼくたちの生活空間の中で彫刻がつくる空間の存在しうることのむつかしさ――に、ムアははじめからぶつかつたらしい。この場合、むつかしさとは、自分以外の事物が存在することのおそろしさだといひかへてもいゝ。これにたじろがぬ眼をもつことから、彫刻家としての成熟が始まる。
人間は對象となる事物との距離を測定し、かたちを興へ、名をつけると安心するらしい。つまり、對象を人間の手のとゞくものにするわけである。が、事物はさう簡単には人間の手におへるものではない、といふ自覺から、ムアの彫刻は出發する。
人間の規制しえぬ事物にぶつかると、人間はそのまゝでは存在しえなくる。オルテガ流にいへば、人間はさしあたって、まづ、一つの可能性にすぎなくなる。他の存在物へと變様したときに、はじめて存在しうるかもしれぬ可能性である。ムアにとつて「見出されたオブジェ」とは、かういふ作者の存在の成否をかけた、他の存在物のことである。
ムアは「有機的」とか「生命的」といふ言葉をつかふが、彼がエジプト古王朝期の作品、黒人藝術、メキシコのプリミティヴ彫刻、ロマネスク等にひかれるのも、また、ゴシックのシンメトリやルネッサンス以後の遠近法を拒否するのも、また、直彫りを強調して、石をはじめ、すべての素材に生命を認めようとするのも、すべて「生命的なもの」を回復しようとする意志とその成果であるにちがひない。
直彫りによつてゴマカシのきかね訓練を自分に課すると同時に、そのことによって、對象=他の存在物の生命をゴマカシのきかぬすがたであらはさうとする。これは事物に對しても、人間に對しても、宗教的といへるほど敬虔な態度である。そして、その敬虔さが豐かになるほど、作家自身は成熟するやうだ。
クレエ
(1879―1940)
「藝術家は木の幹のやうなものだ・・・・・・木はその根に似せて花冠をつくりはしない・・・・・・藝術家の位置はつゝましい。花冠の實は藝術家自身のものではない。作者はたゞ通路にすぎぬ。」とクレエはいふ。この美しい言葉でクレエは藝術家の成熟の秘密を語つてゐるやうだ。
木は大地に深くバンコンサクセツした根から養分を吸収して花に興へ、幹を通して、花のすがたの中に、怪奇な根の生態を捨象する。地中に根が養分を求めて模索する苦闘や、その養分を花に送る手だては、寂寥のうちに行はれてゐて、花にはあらはさぬ。おそらく、これはクレエにとつて、守るべき最初の、そして最後の、禮節だった。いや、その決意がクレエの成年を支へるものだったにちがひない。藝術家は作品によつてのみ他人と交つて存在し、そのことによって、他人をも創造に参加させる。もつとも美しいところで交るのが生命のゆたかさのしるしだらうし、そこにおいてでなければ交ってはならぬとする決意が誠實といふことであらう。
クレエの場合、無意識とかオートマティックとよくいはれる。が、繪画といふ一つの空間をえらんだのは、クレエの木の比喩にそくしていへば、大地の命令に従った彼の意志である。一つの空間をえらぶことは、他のすべての可能な空間を拒絶することにたへるといふことである。選ばれた空間に、人間は自己の小さな殻をやぶって、その特徵を全的に興へるのだが、この肯定の強さは、拒絶の強さに友へられるにちがひない。
晩年、手がきかず、繊細な線がひけなくなったといふ弱點を克服したのも、手だてを固定させず、肯定と拒絶とのかねあひに手だてをおいたからにちがひない。手だてを固定することは、今日より昨日の方が賢明だったと認めることにほかならぬ。もともと人間同士が結びつくことは不安定なことだ。手だてもそのときどきの全身的な動きに應するより仕方がない。が、これは、簡単に考へられやすいやうに、容易なことではない。
レジェ
(1881―1955)
レジェの作風を普通發展的に、印象主義的な時代、キュビスム時代、メカニズムの時代、そして、近作と分けるやうである。が、レジェの成熟といふことをいふとすれば、おそらく、この最後の時期ではあるまいか。それほど、鈍重な道を歩いてゐる。
ぶっきらぼうで、ボクトツで、感傷などまるでないやうだが、しかし、 キュビスム時代の作品をムードは、やはり感傷である。
メカニズム時代の作品は、機械がそのまゝ有機物のやうな表情をもつてゐる。いはゞ、人間の心理の内部のやうに、何とも底がしれない、といつてゐるかのやうだ。機械の中に人物が登場しても、こゝでは、人間の方が無表情である。人間の方が機械的であり、機械の方が人間的である。つまり、なにかゞ、錯倒してゐるのだ。これを、たゞの感傷といつてはいひすぎにちがひない。また、正しくあるまい。しかし、正常な成熟といふには、ためらはすものがある。
セザンヌの追求の延長として、こゝに達したのにはちがひないが、セザンヌが山と人間とを、コップと人間とを、等質にしたやうには、レジェは機械と人間とを等質にしてゐない。
第二次対戦後、この人物たちは機械的な無表情から脱却して、人間としての活動力をおこすやうである。つまり、レジェは、機械は機械にすぎぬと見さだめて――實は、これが大變な勇気がいることなのだが――そこから人間を解放しえたとき、レジェは成年のほゝゑみをうかべたやうである。
ジャコメッティ (1901―)
ジ ャコメッティとなると、いま丁度、成熟の過程にあるといふ氣がする。藝術家は誰でも、また、いつでも、成熟の過程にある、などとまぜつかヘしてはいけない。成年のもつ骨格の強さとそこから生ずる厳格だが豊かな力よりも、むしろ、成熟へとむかふ大きな危機の苦しさ――あるひは、その苦しさの原型――のやうなものが、大きくぼくにひゞいてくるやうなのである。
ある種の芸術家は何らかの作品において、自分の青春への訣別をいふことによって、成年に達したことを、おのづと示すものだ。 ジャコメッティがこの種の作家かどうかは分らぬが・・・・・・
ジャコメッティといへば、すぐさま思ひあたるのは、例の、これ以上は痩せられぬといふまで痩せてしまった、ひよろ長い人髄のフォルムと、その人をかこむかのやうな無限の空間との對置である
人體は基本線だけで、わづかにポツポツしたマチエールのほかは、ほとんど肉附けがない・いはゞ、極限状況におかれて、無限小になったとき、この一點をふっきれるかどうか試みてゐるかのやうだ。この一點を存在させるために、彫刻自髄が、ぼくたちの日常的な空間とは不連續の空間をつくり出さねばならぬ。人のフォルムとフォルムとが、日常の距離とは別の距離をたもちながら、全體に一つの空間をつくり出し、それが無限に延長してゆかねばならぬ。 いひかれば、彫刻作品が存在するためには、それがおかれる「場」を彫刻作品自體がつくり出さねばならぬとでもいふべき言語撞着するやうなことを實行しようとしてみる。
そして、この一點が明確に存在する場がつくられたとき、それが青春への訣別となり、その一點を中心にして、青春といふものが全的に完結するのではあるまいか。完結させることで、成熟をおのづと示すのではあるまいか。
(以上・岡本謙次郎)