小論 建畠覚造
美術手帖
建畠覚造自身が、自分の彫刻についてうまいことをいっているので、少し長くて恐縮だが引用しておく、――
「セザンヌが自然は円筒と円錐と球に還元できるといっていたでしょう。そのような非常に単純な立体の法則を想像してみてください。自然のあらゆる物体は放置しておくと球になりやすい。たとえば地球や雨のしずく。球は表面積が最少で体積が最大なんですね、寒いとき人間は体を丸くしますね。寒風にあたる表面積が少なくなるわけです。つまり、もっとも少ない表面積、ということはもっとも単純化された表面で、もっとも精神の包容度の高い充実したフォルムというのがこの抽象性の中に存在するわけです。」
「それからもう一つの発見は、いままで彫刻の触れることのできる実体にたいして触れることのできない空間、例を『二人』(一九五二)にとると、二人の上半身にはさまれてできた空間、また『核』(一九五六)では、中心の球を包んだ実体であるアンバランスな環体から、球にむかって集中する刺状のものとの間に、オルガニックな空間が存在しうるということです。かりにこれを《マイナスの空間》としておきます。
「さらにもう一つの空間があります。それは『二人』を例にすると、二人の視線のむかう方向、お互いに異った方向、それに沿ってある空間、これを《創造の空間》とします……」
「《創造の空間》を『核』についていうと、それは熔接した球体を中心に集中する刺と、それをつつむ環体の外部に突出した小球体を有機的に配置することによって形成される、一種のマイクロコズム(小宇宙) というか、この彫刻のまったく独自な世界の意志を明確にすることなのです。」
「つまり従来のヴォリュームやマッスを除くか、それらを二義的なものとしてムーヴマンと透視と光と影を導き入れ、彫刻の実体でない部分《マイナスの空間》と《創造の空間》が作品のもっとも重要な部分であるということ……」
「こういう彫刻によってつくられる独自な空間のなかに、ぼくたちの社会的な、人間的な意識が共存しうるのです。と同時に、人間の未知なものへのファンテジーが生れてくるのです。」
くりかえしておくが、限られた紙数に長い引用で恐縮である。が、これだけうまく自分の作品を説明してあれば、作品について、これ以上の説明や解説はいらないと思うので、あえて引用した。
か、この説明は多少うますぎはしないか?最初の球体の部分などはちょっとゴロ合せみたいな気をおこさせる。地球や雨のしずくなどもってくる必要はあるまい。アゲ足をとるつもりはない。 セザンヌの言葉を引用するなら、もう一つ、これと関連して、「輪廓かぼくから逃げる」といった意味を追求した方がもっとよく分るのではないか。
「輪廓」といったところで、もともと、そんなものが、自然にそこにあるというものではない。だいたい、人間は、外界の事物に対したとき、その距離を測定し、動きをはかり、輪廓をつけ、かたちをとらえ、そして名称でつけると、やっと安心するものらしい。つまり、そこで、やっと存在感をもつようにできているわけだ。
が、そうした「輪廓」は、もともとそこにあったわけではない。それまで何百年かにわたって人間が努力しつづけてきたものにちがいない。それが「逃げてゆく」 おそろしさに、セザンヌは、やむをえず、「円筒、円錐、球」をもち出したにすぎぬ。
それまでの「輪廓」は、簡単にいえば、透視図法的な遠近法というシステムを基準にしてつけられたものに相違ない。
透視図法は時間と空間とを結びつけたといわれる。それにちがいないが、ここで結びつけられたものは、測定しうる時間と到達しうる空間とであった。透視図法の発見当初は、測定しえぬ時間、到達不能な空間を明確にするために、測定しうる時間と到達しうる空間とをとことんまで追求した、といえるのだが、後世になると、その成果だけを自分の都合のいいようにうけとってしまったきらいがある。それを破って、別のシステムを探り、創造したところに、セザンヌの位置があるし、また、建畠のこころざす方向もあるにちがいない。
透視図法は、第一に、目の前にひろがる空間と、その中にばらまかれた事物とを、ある一定の關係においてとらえる方法であった。そして、そのために、ある固定した支点を設定しなければならなかったし、また、視覚の優位性を保証した。
が、現在、ぼくたちの生活している空間は決して、目の前にひろがっているだけではない。目にみえぬ背後のひろがりもあるし、また、透視図法のシステムでは包含しえぬ地平線の彼方にまで及んでいる。その中にばらまかれている無数の事物と自己とは、共に動いていて、その間に、固定した支点を設定するわけにはいかない。時間も測定しえない。
こんな空間関係を建晶は《マイナスの空間》とか《創造の空間》とかに分類しているし、その内容もそれ自体として、なかなか意味のある言葉だが、この説明の仕方は多少気がききすぎているようだ。
実際に彫刻は、それほど気のきいたものではないし、気のきかぬ方がいいのだ。彫刻は第一に、そこにあるというだけで、まず、ぼくたちの視界を妨害するものだ。気のきいたものならば、見通しをつけようとするぼくたちの欲求を、妨害するどころか、逆に、うまくなだめ、誘導し、適当にうけながしてしまうだろう。そうならぬところに、建畠の彫刻の可能性があるのだろう。
建畠のみならず、現代の彫刻が何らかの点で原始芸術に似るのもそのためではないか? 原始芸術は、物神像であれ祖先像であれ、あるいは、いけにえの血をいれる容器であれ、人間の手におえぬもの――つまり、距離が測定できず、かたちがとらえられず、名称のつけえぬもの――に、そのもの自体の生命を認めている。現代芸術は、自己以外の他の存在者を認め、それを存在者たらしめることからはじまるとすれば、原始芸術に似るのは当然である。が、現代芸術が原始芸術に触発されたというのは、外見上の継起の順序にすぎまい。現代芸術のフォルムが原始芸術を救い出したので、その逆ではない。
現代芸術が原始芸術とちがう重要な点は、そのフォルムによって、人間が世界と事物とをもう一度結びつけようとする意志の有無であろう。
建畠の作品に、そんな意味でのヴォリュームが出てくるのを望みたい。
岡本謙次郎(美術評論家)