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写実主義的な傾向

美術手帖

 日展案内というパンフレットに、こんな解説がのっています。少し長いが、──
「日展の洋画は概して自然の形や色彩に忠実な写生にもとづき、一般人には理解しがたい近代画の諸傾向、いわゆる前衛的な作品ははいっていない。何人にも理解しやすく、美しく、親しまれる。同時に伝統的な描写の基礎的技術が問題になるのであって、年季を入れた玄人でなければ、一応の写生すら、かけ出しではできないわけである。
「しかし写生さえしっかりできればいゝのではない。写生は絵のもとであって、芸術とは、そのような自然物の形や色を描きつい、それらを媒介として作者の心情を表現するものであるから、一人一人異った表現がとられなければ意味がない。すでに一家をなした大家といわれ、知名作家といわれる人々の作には、みなそれぞれ独特の表現がある。新進の人々にも鋭い個性を示すものもある。しかし、誰が描いても同じようにみえる一様にきれいな作品も少くない。
「いずれにせよ、一つずつの画面に何が描いてあるか、本物らしくまた美しくみえるということだけでなしに、作者がその画面をつくるのに何に苦心しているか、何に感興を抱いたのか、作品を通じて何を語ろうとしているのか、というようなことを味わうのが鑑賞であって、よくみればそれぞれの作品が何かをよびかけてくるのに興味がひかれるであろう。」
 いかにも日展らしいコンセッテイネイな解説です。あたりまえといえばあまりにあたりまえ、常識的といえばあまりに常識的ですが、日展系の洋画については、一応──これはどこまでも一応だけのことですが──この通りにうけとっていでしょう。
 つゞめていえば、客体として存在する対象に何の疑いもさしはさまずに、これを描写的に描く技術を基礎として、個人的感情を表現するという、はなはだ資本主義的な、あるいは、個人主義的な意識の上に成立する絵画です。そして、こゝでいい加えれば、それが、東洋と西洋との交点にある日本のさまざまな条件のうちに行われ、結局、画をかけるべき日本の家の壁というものがそのまゝ信用された上で描かれる画です。
 ところで、この系列に属する画は、なにも日展出品作家ばかりとはかぎらない。日展不参加の、いわゆる在野の人々にも多い。これは当然のことです。
 明治以後の日本は資本主義的個人主義的な意識と力とに推進されてきたので、迂余曲折はあったものゝ、とにかく、この意識と力とが旧時代的な全体主義の圧制に何とか抵抗して、何らかの自由を守ろうとしてきたのです。日本という狭い国にいて、こういう社会や社会意識に何らかのかたちで規制されぬものはなかった。大正十二年の関東震災を契機として、急激に、未来派、表現派、立体派、抽象派などが並列的に勃興しましたが、それらの運動も、こういう意識からなかなかぬけ出てはいない。プロレタリア美術でさえ、観念的にはともかく、絵画としては、この描写的説明的意識の上に立っている。
 それに、日展というのは、決して日本のアカデミズムをすべて代表するものではなく、その点でも跛行的であって、日展系在野系といっても、それは多くは芸術上の様式の相違によるものではなく、芸術以外のものによって集合離散しているにすぎない。 アカデミズムとは、本来、普通不用意に使われているほど貧弱なものではないはずのもので、芸術上の様式の樹立によって、つねにたかいとらるべきものです。この意味では、日本画壇には、まだ、本当のアカデミズムは樹立されていない。だから、在野の画家で、様式上日展系の作風とほとんど変らぬものも多い。
 ぼくはなにもまちかどに立って交通整理みたいなまねをしようというのではありません。こういう様式が、現在、非常に強い力をもっている以上、それを支える社会に生きるぼくたちにも、何らかの意味で、かなり重要な問題になってくるのです。
 新しい絵画をめざす場合、こういう様式にそっぽをむくということもできるでしょう。だが、本当にそっぽをむいては、新しいものができるかどうか疑問です。新しい絵画は描写的技術を身につけてからはじめるべきだ、などというのではありません。問題は、技術上のことではない、様式にそっぽをむくことが、そのまゝぼくたちの社会生活にそっぽをむくことになりかねないからです。日本の近代はいつも相手にそっぽをむいて堂々めぐりをしていたようです。やむをえなかったとはいえ、正当に対決しなかったことが、新旧両勢力がたがいに正しあわぬ浪費になったように思われるのです。
      ※
 こんな観点から、描写的技術を基礎とする画家をあげれば、八十歳の長老から三十代の新進まで、いや、もっと若い年代の人々までたちまち、数十名にのぼってしまう。とても、いちいち名をあげるわけにはいかない。詳しくは挿画を見ていたいきたい。それに、それぞれ個性をもつ画家である以上、整理などつくわけはありません。が、ともあれ、この系列の力は、画壇ジャーナリズムにあらわれるいろいろの表情とはほとんど関係なく、驚くほど強いにちがいない。八十歳から三十歳までの半世紀の間、むろん、個性的心情や視覚の相違はありながら、これらを一堂に集めたことを想像すると、まるで、時間がとまってしまったかのような錯覚をおこさせるし、同時に、また、それだから、あまりにも遠くきてしまったようにも思われます。
 いうまでもなく、この半世紀は世界的に未曾有に変化の速い時代です。いったい、一世代を三十年とすれば、これはわずか二世代であり、個人の系譜からみれば、祖父──父──子という関係である。時代の進展や変化を区分するのに三十年をもって一世代という単位をつけたのは、古来民衆が自然に覚えた知恵か生理でしょう。が、この区分単位が二十世紀ではまったくくずれてしまい、急テンポになっています。何年をもって時代区分をつけるかは分らぬが、とても三十年など、ユーチョーなことはいっていられません。日本ではこれが極端なのはいうまでもありますまい。だから、この半世紀は何百年に相当するなどともいわれます。そんなバカな比例は信用できないが、とにかく、ぼくたちの長い間やしなわれてきた生理が追いつけないところがあります。
 たとえば、・・・・・・例の黒田清輝の「朝」という滞欧作の裸体画が京都の博覧会に出品されて風紀問題をおこし、ビゴーの機智のある漫画が出たのは、明治二十八年のことです。ずいぶんむかしのことのようだが、同じ年の明治美術会の展覧会に、現在の長老である中沢弘光、三宅克己、白滝幾之助、和田英作などが新進として出品しています。石井柏亭、石川寅治などが新人としてあらわれたのもこのころでしょう。まったく、ぼくたちの盲点で、なにか忘れてしまったような、呆れるほどの長さです。
 同時に、このテンポの速さは同じ年代層にもジグザグをおこさせる。意識を緊張させて時代感覚の盲点をなくそうとしても、生理の方がいうことをきゝそうにないのです。こういうギャップに混乱がおこるし、このジグザグの中にあっては、一人の画家の様式に対して正当な継承ということがおこなわれない。それをしている暇がない。一個人としての画家の完成はあっても、次代はこれにつかず、つねに孤立する。日本の場合には、継承ということが、海外作家の様式の次から次への移入ということにおきかえられていて、たがいにそっぽをむいた、あらゆる並列関係が生じる。 印象派風な画から抽象的、非具象的な画まで共存していて、少しもおかしな気がしなくなるというようなありさまです。
 一九五三年という年に、中沢弘光の「鶴の舞」という明治ロマン主義的な画がある。超時代的とも十九世紀的視覚ともいえましょうが、しかし、個人としては何でもないはずです。コラン系の印象主義を日本人の感覚の中に消化して終始一貫、日本の風俗信仰をテーマとしているのは、画家の性格やその生きた時代の特徴を示していて、画家個人にとっては、この頑強さが必然なのです。だが、年代の若いものから見れば、すでに歴史的存在になってしまう。
 こういう断絶と孤立とに問題があります。
 芸術様式の正当な継承とは、様式の移入ではなく、様式への信従から変様にいたることで行われるはずです。これが行われないところには自発的な進展がなく、時間がとまったかのような錯覚をおこさせるのは当然かもしれません。そこで、この錯覚をそのまゝ信用してしまって、現在の日本は明治何年にあたるなどをトッピな比較をする人も出てくるしまつです。
      ※
 この半世紀あまりの間、たえず国粋主義と進歩主義との対立と交代とのあったことは御承知の通りです。そして、国粋ということが閉鎖的な保守とたゞちに結びつき、進歩ということがたゞちに海外への開放とその移入とに結びついた。それが、いうところの後進性のあらはれかもしれませんが、しかし、後進という意識のあせりが、裏がえせば、ヒステリックな国粋主義になるのです。この進歩と保守との間に歯車があわず、たがいに裏がえしになって中心点まで入っていかない。だから互に正しあいつゝ、自分の中から発展していくものがないのです。
 結局、これを何らかのかたちで統合するためには、何もかも、個人がその責任をとらねばならなかった。むろん、芸術家は、最後のぎりぎり結着のところは、たしかに個人がその責任を負うべきものです。が、個人が責任をもって発言し、表現するためには、背後にそれを支えるべき力が必要です。共に育つべき、民衆の、風土の、歴史の支えです。それがない場合には、すべての画家は挫折せざるをえない。中途にたおれた人々のみではない。画風が継承されぬということは、たとえ、その画家の個人の完成はあっても、挫折なのです。いいかえれば、個人としての完成は、実は完成にはならぬという時代になってしまったのです。
 山下新太郎、石井柏亭などの長老級の人々が作家活動をはじめたのは、日本の最初の感覚の開放時代、日本の上昇を意識した時期だと思われます。山下はめずらしく柔軟な資質をもって印象派から学んだ豊かな色調を示しているし、石井は健実な写実的作風を示している。が、現在、ほとんど回郷的ななつかしさを感じさせるだけで、ぼくたちに積極的に訴えるところがない。青年期以後の迂余曲折についてゆくひまがなかったにちがいない。現在に対して、意識的にうしろむきになっているわけではないでしょう。背後に大きな力の支えをもたぬときの個人の肉体的生理的限界だと思えます。
 陰湿な日本から開放されて世界に参加するということが、楽天的なコスモポリタニズムになっていたにちがいない。感覚の開放にはなっていても、日本の生活に裏づけられた精神の開放にまでいたっていないのでしょう。だから、このコスモポリタニズムがそのまゝ日本的雰囲気に固定する。当時新風をふきこみながら、様式としての継承も別もなく、一個人の中に閉鎖する。これが、一つの持ち味というものになっているのでしょう。
川島理一郎は要約した線と単純な明るい色彩とで、現在に接触をもとうとしながら、やはり例外ではありますまい。自然の風景と、これに感情をすなおにゆだねることに、何の疑いもいれず、楽天的な感覚の開放を謳っているようです。
 精神の開放をともなわぬ感覚の開放絵おいうことは、一方では、逆に、感覚の開放をともわぬ精神主義的なキマジメを生んでしまいます。日展出品作の中に、儒教道徳的にキマジメな面があるのは当然かもしれない。
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 こゝまでくると、最初に引用した日展の解説はだいぶ怪しくなります。「伝統的な描写の基礎的技術」といいますが、そうしたことが、言葉の厳密な意味で、あったかどうか疑問です。
 こゝで描写的技術というのは、日本の閉鎖的社会を支配する視覚に対する一つの抵抗として、また、それからの開放として、ヨーロッパ的な写実的視覚によりどころをもとめて得たものだろうし、また、同時に、本能、情念、趣味などにまきこまれて混乱することをさけるたよりとして行われるにちがいない。
が、誰がみても客体として存在する対象に何の疑いもさしはさまぬことは、ひるがえっていえば、客体を見る主体にも疑いの眼をむけぬことです。
 おそらく、本格的な写実とは即物的描写ではなく、客体と主体とに対する二重の疑いを整合するために、人間がえらんだ最後の方法だったはずです。極端にいえば、客体にも主体にも非情に疑いの目をむけて分析するということにたえうる精神が、外部によって内部を規制しようとしてとった態度です。そして、これは、自己の殻の中に閉鎖する方向を逆転して、自己の殻をやぶることだし、また、社会一般の前に、家族的な集団圏をやぶって、社会に参加することを意味します。

 こんな訓練ができていないところに、ヨーロッパの成果のみが次から次へと移入されたために、いつか日本的な雰囲気の中にかえってしまいます。伝統が変様によってうけつがれず、表面的な変化はみせながら、むしろ、一様に、日本的雰囲気の中にとけこんでしまう。日常家屋の壁をやぶって人間関係を支えるべき力を背後にもたぬかなしさです。
 こんな場合、個性的視覚をうち出そうとすれば、練達した描写技術を見せるか、または、対象とこれを見る主体との間に一種のレンズを挿入するような操作をするか、それとも何らかの感覚的装飾性をもりこむことになりかねない。
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 たとえば・・・・・・いはゆるフォーヴィスムを移入した人々にしても、例外ではあるまい。第一次の移入をフューザン会とすれば、これに参加し、マチスに学んだ硲伊之助の写実的な作風は厳格ですが、どこかサロン風に落ちつきを見せます。ついで新風をふきこんだ中川紀元は文人画的な即興的な感興の面白さに向ふ。第三次の移入は一九三〇年協会から独立美術にいたる集団活動と見られるが、これに参加した人々のうち、木下孝則、木下義謙は着実な技術をもつ典雅な画風で郷愁的な人物や風景を描いている。ピカソの古典主義時代の影響をうけて出発した伊原宇三郎は、いつも重厚な筆力を示すが、その描写が輪廓をやわらげて、体質の発散だけを感じさせます。
 中村研一は渋滞のない技術を見せているが、これは発想とはほとんど無関係のようです。中村善策は風景の清爽な動きをとらえるのに、一種固定したレンズを用いています。向井潤吉克明な写実主義は構成に苦心が見えますが、その操作に必然性が見うけられない。
 小山敬三はやわらかい抒情で対象をつむし、栗原信は湿潤なニュアンスに輪をとけこませる。鈴木信太郎は素朴な地方的な興趣にむかっています。森田元子の透明な色面の構成は感覚的な装飾性に支えられているようです。藤川栄子は閉鎖的なナルシシスムをもっている。中村琢二の鮮かな色の対比をもつ平塗りは、作者と対象との関係をとりとめる写実を克服するのではなく、それから、それているように思えます。
 ぼくは、画家を一言ずつで片づけようなどとするのではありません。「伝統的な描写の基礎的技術」ということに疑問があるのです。
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 だから、伝統というものをどこかに求めるとすれば、それは写実的描写の伝統ではなく、むしろ、日本画の伝統でしょう。いわゆる新しい日本画が洋画的方法をもちいすぎるという人もあるが、これは日本画が世界の絵画の動向に無縁でないかぎり、当然のことでしょう。それよりも、むしろ、洋画の背後にひかえている日本画の伝統──無意識のうちにぼくたちのうちに養われている伝統──の方がはるかに強く、ヨーロッパの油彩の方法や三次元的視覚が、いつかまた平面的な日本的な日常的善意のある雰囲気にかえってゆくということの方に問題があります。
 これをいたし方ない、などとはいっていられません。ひとごとではないのです。
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 いまの描写的絵画には、日常的善意を破壊するようなにくしみもなく、したがって、自分の生活をおびやかすほどの愛もない。つまり、主体も客体も、ともどもに善意の過剰につゝまれて、そのところをえているのです。といって、こういう善意を犯さねばならぬとは知っても、その善意を捨てまで、探ってたのむべき支えが探りえなかったということです。描写的画家で大家といわれる人々のうち、この苦しさに、とにかく、たえているのは、安井曾太郎かもしれない。が、安井の場合、勤勉な努力の姿態が見えて、見るものを作品のうちに誘って楽しますところが少い。個人が背負えば、おそらく、そうならざるをえないのです。
 多くの大家は自分の情趣の中に入りこみ、そこから一歩も出ぬように見られるし、また、描写的技術にたくみな人々はその技術によってところを得る善意の上に安閑と寝そべっているかのように見える。だが、この人々が苦心をしていないわけではなく、また、描写的技術がやさしいということでもない。また、この半世紀余りの間、この人々が近代と接しなかったなどというのでは毛頭ない。
 むしろ、画家はその都度、現代ということに、たとえ無意識にせよ、ぶつかっているものです。だが、この善意が失われたとき、なお、たのむべきものがさぐりえなかったために、再び、日常の家族的な善意のある壁の中に、むなしく、たちもどったのでしょう。日本の住家の壁にかゝる画にもどります。
 ところが、実は、日本の家屋の壁のみならず、たとえ、どれほど堅牢な壁にせよ、それがいざとなればどれほどたよりにならぬものかは、誰でももう知らぬわけはありません。人間がつくって来た、いまゝでの善意の壁は、いったん、ことがあれば、逆に、まったく残忍なものになることを知らぬはずはないのです。その上で、なお、この壁の上にかけられることを予想すれば、画は痩せるより仕方がありません。日本的伝統とヨーロッパ的視覚とが、それほどムジュンなく処理しうるわけはない。
 社会的テーマをあつかった画にしても、それがた、主題の説明的描写ということでとらえられていては、対象のものがたるエピソードに無条件に意識を埋没させることになります。この壁を破るには、人間に対して安易な同情心をすて、事態とはっきり対決することが必要でしょう。そこを通さず、いきなり対象をとらえようとすると、感傷的表情や雄弁術となりおわる。これでは、たゞ描写の対象がかわったというだけにすぎません。 社会的テーマをあつかう画ほど、壁の意識をすてることを要求するはずです。つまり、微温的な人格的市場を捨象して、非情な無人格的市場を明確に想定しなければなりますまい。
      ※
 だいぶ悪口をいいました。それに個々の作家をほとんど具体的にあげませんでした。が、ぼくは描写的絵画を全面的に否定しようなど、いうのではありません。
 描写的絵画は古いといわれるかもしれない。が、美術家はいつも時代の最尖端に立つなどと思うのは、大変な勘ちがいです。たいていは十年は遅れているものと思っていゝ。皮肉ではありません。過去の遺産の美しさに心をうばわれるものにとっては──そして、それは美術家の重要な条件の一つですが──そう簡単に過去とふっきれるものではないのだから、いずれ多少は保守的にならざるをえないのです。たゞ、この保守ということが、いわゆる「反動」とか「逆コース」とかにならず、描写的な様式が現在に生きる正当な軌道にのってもらいたく思っているのです。
 官展的性格が、かならずしもアカデミズムとはいえぬ跛行状態にあり、同時に、また、日本の浮き上ったモダニズムが感覚のくすぐりになるとき、このへんを正攻法からたゞすのが、この人々に課せられた仕事でしょう。正当なアカデミズムが樹立されなければ、すべての傾向が、たがいに接触もせず、対決もせず、ただ相手かまわぬ独り走りになってしまい、いつまでたっても、努力が浪費になります。
いったい、日本の中で正当に向きあえぬようなことで、海外の作家と正当に向きあうことなどできるわけはありません。万一、この手だてをとびこして、海外作家と向きあったつもりになれば、それはたゞ、浮上った国籍不明のコスモポリタンになってしまいましょう。
 現代では、様式というものは、それだけならば、どこにでもころがっています。お好み次第、どれにとびつくことも容易です。が、現在は、むしろ、何らかの様式を自己の必然に結びつける段階にあるのではありますまいか。
      ※
 最後に一つ申したいことがあります。さまざまな様式の一つをえらぶことが、たゞちに、他の様式に従うものに対して偏見とか邪道とかいうレッテルをはることにならぬようにしていたゞきたい。一個の画家が生きて仕事をしている以上、そこに偏見とか邪道とかいうものはあるはずがないからです。もしあるとすれば、ある人の意見を偏見とする意見こそ偏見だと思っていたゞきたい。そして、「一般人には理解しがたい近代画の諸傾向」とか、「何人にも理解しやすく、美しく、親しまれる」などというようなことは、前衛後衛のいずれの側からもいうべきことではありません。一個人が「一般人」の意見をこちらから規制してかり、その規制に従って「一般人」を代表するなどということは絶対にできない相談だからです。「一般人」は個人が規制しえぬ、個人より大きな存在であり、個人は逆に「一般人」に規制されると認めぬかぎり、日常的善意の壁はやぶれません。
 もし「一般人」を代表するかのように思いこみ、相手を偏見とか邪道とかと見るなら、そこに軽蔑のさしはさまれぬことはない。軽蔑があるところには理解もなく、対決もなく、正当な向きあいがない。そっぽをむくだけで、いつまでも、雑然たる浪費が行われるのです。
 もうこういう浪費はごめんこうむりたい。

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