人間像
芸術新潮
人間像が美術にあらはれてから少くとも五千年たつ。カプサ文化あたりの原始時代からかぞへれば、數萬年。氣の遠くなるやうな話です。それをわづかな紙数で書き、數枚の複製をえらび出して、現代に結びつけやうとは、われながらあきれはてたことだ。ネツゾウです。羊頭狗肉ならまだしも、龍頭をかゝげて鼠肉をうるやうなもの。
だいたい、人間像などといふ言葉は画にかいた龍みたいなもので、あるが如く、なきが如く、アイマイなものだ。が、画にかいたりンゴは食べないが、食べるリンゴより以上の現實感をもつて存在することもありうる。とすれば、龍だつて・・・・・・いや、龍なんかどうでもよろしい。人間がさまざまな生活を通して意志し、努力し、つくりだした人間像も、假空であらうとなかろうと、存在してもいゝわけです。
人間といふものは、人間にとつて、いつでも興味のある對象だし、また、それだけヤッカイなしろものです。た とへば、動物は人間とは別の恰好をして首尾一貫してゐる生きものだから、ぼくたちには類推がきかない。類推がきかぬから氣味がわるい。が、そのために、おとぎばなしの作者は動物を呈示することで、聞くものを思考停止の状態におき、日常のコンヴェンションから開放するのだが、人間像はさうはいかない。見るものと共通して同じやうな恰好をしてゐるから、日常のコンヴェンショナルな想像力、情念がいりこむ餘地があり、類推がきいてしまふ。だから、人間像を示すことはやさしいのではない。日常のコンヴェンションにわづらはされて、複雑怪奇、わけがわからなくなります。
その上、人間像とは、造型藝術の場合、あきらかに、少くとも二重の意味があります。一つは、つくられた人間の像──時代なり個人なりが、理想として、あるひは、愛すべきものとして、あるひは信仰の對象として、ともかくも何らかのかたちで實際につくった可視的な人間像。いま一つは、その人間像から逆に集約される作者の──その時代の精神としての作者──不可觀の人間像。そして、かつて造られた可視的な人間像と、その人間像をなかだちにして現在見るものがつくり出す人間像と、この二つの人間像が不可分にいりまじるところに、人間像の秘密がありさらなのです。
具體的に例をいへば、もうずゐぶん前のことだが、ぼくは運慶作の無著像世親像を見たとき、この像が實際の寫實でないことも、また運慶自身の肖像でないことも、百も承知の上で、いつの間にか運慶といふ人物とこの像とが重なりあってしまふのを経験しました。そして、いまだに、その二重性がぼくのうちからぬけないのだからおどろく。
これは錯覚でせうか?どうも錯覚とのみはいひきれないのです。たぶん、見るものは、つくられた結果としての人間像から、つくった人間の意識や感情にいたる逆過程をたどつて、また、ふたゝび、結果にかへつてくるといふ、こんな往復がくりかへし行はれるらしい。そんなときに、作品は現在に生きてくるやうだ。
こんな二重性が少くとも外見上、一つになつた例としては、有名なレオナルドの自画像があげられるかもしれない。が、こゝでは、レオナルドやゲーテや、その他、近世ヨーロッパを支配した人間像、──一口にいへば、ある個人の中に集約され、象徴される人間像──についてはふれないことにする。
個人に集約される人間像は、何らかの意味で、自分の民族の優位性を意識するところに發生するにちがひないからです。近世はヨーロッパが全世界に對して優位に立ち、主導權をもつてゐた──少くとも、その意識の上になりたつてゐた。個人意識の發展は肖像画をさかんにし、大變な數の傅記を生みだした。が、現代は、そんな優位性や主導權は、藝術の世界に關するかぎり、ありえなくなったのです。これは、われひとともに認めざるをえない。
いまゝで合理主義的進歩の觀念のかげにおひやられてゐたものが、表面に出てきます。十九世紀までは有名な個人の肖像がかゝれてゐたが、二〇世紀は無名な人間の像がかゝれるにいたった。さらに、匿命の生命ともいふべき庶民の人間像がかゝれます。同時に、近世ヨーロッパの光のとゞかぬところにあつた世界──古代、中世、東洋、いはゆる未開民族圈などが、大きな力をもつてあらはれる。この邊を考へぬと、現代の人間像はどうにもなりません。
近世合理主義が造型藝術上に及ぼした影響──あるひは、その相互作用の結果──は、視覺の優位の確立といへるかもしれない。透視圖法的遠近法の發見と發展はそのあらはれでせう。が、實際は、遠近が理解されるのは人間に眼が二つあるからではない、見るものが動くからだ、といふことが理解されると、他の感覺器官がみな獨立し、對等の位地を主張するやうになります。動くといふことはすべての感覺を動員しなければならぬからです。
原始時代のカプサ文化圏の洞窟や岩にかゝれた人間像が、あらためて、問題になるのも、一つには、そのためと思はれます。狩獵者や射手や、闘争する群像などの模寫を見ると、人間の動きをまるごと、──
いはゞ、表現主義的にともいひたいほどに──とらへてゐます。むろん、洞窟画、岩陰画だから、これを平面にうつすと、かなりちがったものになるでせうが、眼の機能と他の機能とが、未分化の状態でとけこんでゐることはたしかだらう。
かういふかたちに一般にデフォルメといふ言葉がつかはれる。が、言葉尻をとらへるわけではないが、藝術はかたちをつくり出すととであつて、こはすことでも歪曲することでもない。 デフォルメといふ言葉は、視覺一邊倒からきたものにすぎない。
こんな人體像がミロなどに通じることは一目瞭然でせう。こゝでは觸覺的ですらある。原始人は狩獵のとき、獲物に石をうつたり、矢をはなったりすると、まるで、獲物の方から石や矢にぶつかってくるやうだ・・・・・・などとミロは考へてゐるにちがひない。ミロは若いころ、描く對象を見ずに、目をとぢて手でさはっただけで、描く訓練をしたといふ。
ところで、こんな人間像をかいた原始人とは、どんな人間なのだらう。少くとも、かういふ人間像をなぜかいたのか。この問題には多くの理由が類推される。が、根本的には、描くことが楽しかったからだ、とぼくはいつてしまひたい。原始人が狩猟をするとき、どれほど身の危険を意識しても、やはり、狩りすることに楽しみを見出してみたにちがひないし、画をかくのは呪術その他の原因があつたにしても、やはりかくことそのことにたのしみがあったにちがひない。原始人の體驗を追體驗することはおそらく不可能だろうが、ぼくは、これらの画の作者の人間像を考へるのにこんなところからはじめたい。
紀元前第三・千年末の初期キクラデス文化圏に、ヴァイオリン型の女人偶像がある。ヴァイオリンは美しいかたちをしてゐるが、これが、美しい音を出す。觀覺と聴覺の一致である、といつたら、いさかコジツケみたいで恐縮だが、實は、この同じ文化圏に、ハープその他の楽器をもつ人體がつくられてゐるのです。しかも、樂器と人間の姿態とが不思議な交錯をして、複雑な關係をかたちづくつてゐる。たぶん、音楽にあそんだ民族なのでせう。
キクラデス諸島はエーゲ文明圏にありながら、主導的な立場に立ったことがないといはれる。たえず外来の影響をうけて、被支配者の立場に立つてゐたらしい。たぶん、視覚の優位を否定することは、庶民の匿名の生命のすがたをとらへる意識に連續するのだらう。
かういふ女人間像が神をあらはしたものかどうか僕は知らない。が、匿名の生命の綜合であり、女といふもの象徴であることにまちがひはあるまい。
五千年のむかしから庶民の生活意識や感情はさう變つたものではないらしい。庶民はいつも、支配者のいふなりにひきずられてきたといはれる。それにちがひはないが、さて、庶民の生命が脈うつてゐたのは、そんなところではない。逆にいへば、支配者がどうかはらうと、結局は、どこふく風とうけながして、自分の身のまはりの仕事をはたし、その中に楽しみを見出してきたのである。慣値の轉換などと大げさな言葉はやめておくが、とにかく、そんな風に考へることからはじめないと、現代の、無名の人間像ははじまらぬのではあるまいか?
黒陶人形をはじめ、踊るすがたをつくり出したのも、そんなたのしみのあらはれだらう。お祭りのたのしさといつてもいゝ。
しかし、しひたげられた人間にとつては、日々は楽しみやお祭りどころではない、といふ考へもある。もつともな意見だが、はたして、さうとばかり断定できるでせうか?働く人々のリズムは、わづかでも仕事そのものにたのしみを見出してはなかったでせうか?
が、たしかに、生産者と生産品との關係がキハクになるにつれ、生産者の生産品に對する責任がなくなり、同時に、よろこびがなくなってきたことは事實です。
紙數がなくなりました。労働のリズムと藝術のリズムとについては以前別のところにいつたから、こゝではふれません。
たゞ、リズムは心臓の鼓動から發し、心臓の鼓動をも規制するにいたるとだけいつておきたい。つまり、生命力の源泉みたいなものであり、これが稀薄になると、「空虚の恐怖」にとりつかれたり、呪術の束縛にひつかゝるのです。
たぶん「空虚の恐怖」や呪術をぶちやぶつたとき、人間は自己をあらはしてくる。現代の人間像も、その點、さう大してかはりはない。人間はさうはるかなところにゐるのではない。 様式については圖版で見ていたゞきたい。
(美術批評家)