サザーランド─現代美術7人の巨匠・6
芸術新潮
グレアム・サザーランド(一九〇三─)はその画歴のはじめから近代繪画の二つの大きな課題にぶつかつてゐる。一つは、いはゆる深い奥底の幻覺あるひは、無意識の領域と結びついた不安の探求。いま一つは、繪画の二次元性の中に、普通三次元乃至四次元といはれる形態や形態の動きを構成するシステムである。
いまゝで名稱と位置を與へることによって、人間が限定してた事物が、名稱をこえ、位置をはづして、人間の規制しえぬ事物としあらはれたのか、それとも、人間は事物から名稱を剥奪し、その位置から「追放」したのか、たぶん兩方だらう。ともかくも、事物は生と死との、あらゆる可能性をもつて、──あるひは可能性として──あらはれた。さういふ事物が無限定の空間、たぶん到達することのできぬ空間にあらはれた。
どこまでいってもキリのない奥行き、深み、廣がりその中にばらまかれた無數の事物の存在の可能性やその動きの可能性──かうしたことを額縁によつて限られた二次元の不動の空間の中にのせそれらすべてを同時的に存在させるといふ、それ自體撞着する仕事。
こゝでは、サザーランドはほとんどバンティストである。
「精神は貯蔵所である。 記憶は現在の視覺上の印象と融和する。」
「われわれは、自分の性向に従つて、自然に平行して仕事をすることが必要だ。あらゆる人間の努力は神の法にはとゞかない。神の法は無條件の崇敬を強要するのだ。が、われわれは、もつとも細心な探求と觀察とを通して、不可視の秩序に平行して仕事をなしうるだらうし、たぶん、その秩序の反映をとらへることもできよう。」
彼の描くかたちは、笑つてゐるやうだし、怒つてゐるやうだし、はにかんでゐるやうだし、また、苦痛にゆがんでゐるやうにも見える。彼はかうしたものに、一種の匿名の個性とでもいふべきものを見出し、それを恢復させる。おそらく、それは發見ではなく、ふだんぼくたちが忘れてゐるもの、あるひは、名稱のかげにおひやつてゐたもゝの恢復である。いひかれば、恢復することが彼にとつて發見することである。
「未知のものは既知のものと全く同じやうに眞であり、未知の狀態において提出されなければならぬ。」とサザーランドはいふ。たぶん、この言葉の意味は、知らぬといふところからはじめよう、といふことにちがひない。既知のものを未知の状態にあらためておくとと、つまり、名稱の剥奪である。
匿名の生命と人間の存在感との間に生ずる戦慄から、彼はふたゝび「自然の細部」をたどってゆく。だから、描かれたかたちは、それぞれ新しい個性をもつと同時に、すべて、古来のものと同じ様相をとる。彼のかく形態がいつもその現實のモデルにまでさかのぼりうるのも、この二重性のゆゑだらう。
匿名の個性とは、いはゞ、おもて立つて人に見られることをしない庶民の生命だ。しかも、この匿名の生命に對するサザーランドの態度はきびしい。非情なほどの冷酷な眼がはたらいてゐる。むろん、愛がないのではない。非情な眼をそいで、あらゆる附加物をとりさらなければ、いゝ加減なヒューマニズムで蔽はれた事物はもはや生きかへつてこない。親密な愛情と冷酷な剥奪とは別のものではない。既成のヴィジョンが見られた附加物をあたふかぎりとりさったとき、この匿名の生命にこそ、もっとも強い歴史の生命があると見た雄々しい眼がはたらいてゐる。彼の描く植物や蟲は、いつも人間のかたちを思はせるのだが、それは、人間の心理上のドラマをこの生命に見ようとしてゐるからであり、また、社會的現状にするどい眼をむけてゐるからだらう。「エスキロスが『塵は泥の渇した妹だ』といふとき、われわれは塵といふものについて、何か非常に直截で正確なものを知る。塵と泥とを擬人化することで、われわれは兩方のエッセンスを理解する」とゐつてゐるが、サザーランドの「おきかへ」あるひは「メタファー」といふことはこの邊からはじまってゐるやうだ。
庶民は、あらゆる政治形態の下で、いつも支配者のいふまゝにひきずりまはされる、といふやうな考へ方は、こゝではセンティメンタリズムでさへある。むしろ、庶民はどんな政治形態の下においても、忍耐強く、その壓力をどこふく風とうけ流して、自分たちの生命を着實に守る絕對的強者なのだ。こゝでは、普通いはれる強者と弱者との關係が逆轉する。いや、逆轉するのではなく、その關係がまったく存在しえなくなる。
パンティストとして「神の法」を認めるかぎり、個々の存在は横だけのつながりだけをもつのでなく、すべて「神の法」に、いはゞたてにつながるといふ状態で、全體が構成される。たとへば、政治といふ相對的機構よりも、あるひは「神の法」に信従しようとするとき、「宇宙に對する創造的コンミュニオン」といふことがはじまるらしい。少くとも、サザーランドは、そんな空間關係を、そして、時間を設定しようと希求してゐるやうだ。
だから、彼は自然の原初的な世界を巡歷して、彼の注意はいつも、事物の傷、ゆがみ、不秩序にむけられる。たぶん、彼は溫い心をもち、内心やさしく内氣で、はぢらひをふくみながら、つねに、人間の非情に對決してゐる。そして、いまゝで、何百年の間、合理主義で認められ、高揚され、ほとんど確たる位置をしめたすべての物象をみつめ、その對象を不安定な状態にもちこむ。情熱的に自然の受動的な無意識をゆさぶりおこす。肉體的な妖氣と形而上學的な妖氣が生れる。彼は、ヨーロッパの搖れを、自分の立つてゐる地盤の揺れを感じてゐるのである。客體が不動であることも、主體が不動であることも、ありえなくなったし、人間にしても、事物にしても、そのまゝでは存在しえなくなったのである。
「人間は存在しようとすれば、別の存在者のなかに存在することを餘儀なくされてゐる。」といつたのは、たしかオルテガだったが、人間の存在といふことを、そして、主體と客體との關係を見事にいひあてゝゐる。人間は四圍の状況の中に、受動的におかれてゐるのではないし、同時に、別の存在者を受動的におかれたまゝにしてはおかない。人間が別の存在者のなかに存在するといふ一種のメタモルフォーズを行ふことで、人間自體が一つのドラマになりうる。
サザーランドの描く木にしても蟲にしても、つよい幻想的な迫眞性をもつと同時に、現實的な形態をもつ。ぼくたちは、もはや、事物をこえた精神の世界にのみ、おちついてはゐられなくなったのである。事物からはみ出た繪画的ヴィジョンの世界の中に生きてゐるわけにはいかなくなつたのだ。いはゆる精神主義や、過剰なヴィジョンが純に見えるのは、單純だからであつて、純粋だからではない。事物の抵抗がなければ、精神とかヴィジョンなどといふシロモノは単純なものなのだ。事物を遮断された精神主義やヴィジョンにとゞまつてゐることのできないのは、丁度、肉體的、物質的な世界に受動的にのみ生きてゐられぬのと同様であらう。内部によつて外部を規制してゐられる時ではなくなった。むしろ、外部によって内部を規制せざるをえない。内部と外部とを分けて考へることはいくらがバカげてゐるが、いはゞ、内容によって形式がきまるのではなく、形式によって内容がちがってくる。パンティストのメタモルフォーズとは、そんなところがある。
サザーランドの繪を見てみゐると、彼はいつも自分の才能に對して警戒してゐるやうに見える。才能が事物を蔽ってしまふことを躊躇する。これは、自己の存在といふことに對する一種の不信につながる。自分といふものが、どこかに確乎として存在してゐるわけではなく、「別の存在者の中に存在」するかもしれぬ可能性──まづ、さしあたって、一つの架空な可能性―─にすぎぬ、と氣づいた以上、すべての慣値は一定の尺度によつては量れない。すべてのものは流動してゐるといふ、そのかね合ひに存在の確實性がかゝつてゐる。
サザーランドがシュールレアリストとして仕事をはじめた、といつたが、この具象性は、他の多くのシュールレアリストたちの擬具象性とは全く別である。 擬具象性は自然の事物に對する拒絶から生れるが、サザーランドの具象性は、自然が魂に浸透するのを許容するところからはじまる。といふより、もつと正確にいへば、自然の魂へ浸透することによって、自己の確實性をとりとめようとする態度から生れる。彼が、自然の事物を單に作画の道具として利用せず、それ自體生命のある一個の存在としてとりあつかふのもそのためだらう。それを、イギリスの風土から生れたイギリス人らしい體質から出てゐるといつてしまへばそれまでだが、しかし、たゞ、體質とか資質とかにのみ結びつけて考へてゐたのでは問題は展開しない。問題は彼のつくり出した繪画といふ事實なのだ。
一九三九年に『緑の木』といふ作品がある。黒い背景から燐光をはなつて、こちらにそばだつてくる緑の木である。ある人はこの作品を見て、ボルゴ・サン・セポルクロにあるピエロ・デラ・フランチエスカの『クリストの復活』を思ひ出したといつてゐる。一見トッピな類推のやうだが、この結びつきは決して憚なる思ひつきではなささうだ。この『復活』は厳肅であり、悦びといふよりは深刻な印象をうける。この作品が十八世紀の偶像破壊者たちによつて、一時、上から漆喰壁みたいなもので塗りつぶされてゐたといふことも、單なる笑ひ話ではすまされまい。
一九四四年『ペンブルクシア風景』その他の風景画に、ボッシュからブリューゲルにいたる奇怪さと親密さとを見ることは容易だらうし、空や前景の燃えるやうな、たっぷりした効果は、パーマーとの根深い關係が見られるが、しかし、パーマーほど神経質ではない。 ロマン主義でもないし、表現主義でもない。
こんな経歴をへたのち、一九四七年ノーザムプトンの聖マシュー教會の壁画『磔刑』が生れる。(先年日本に招来されたのはその下繪である。)第二次大戦を通して、近代の機械的世界や政治的機構の中で、二〇世紀の非道を知つた感情にゆさぶられ、グリューネワルトのイーゼンハイム祭壇画の『磔刑』に傾倒してかゝられたものにちがひない。
イーゼンハイムの凄惨なクリストの死體は、多くの聖像画に見られる優雅なクリストではない。クリストの肉體にはあらゆる汚辱が加へられる。 北歐的宗教感情が、優美な聖像画の、甘い、宮廷的、現世的な理想主義に反撥した、象徴的な典型だともいへるし、また、ルネサンスといふ世俗的な「ヴィルトゥ」と「エネルギー」の時代には、丁度、サヴォナロラがフィレンツェで獅子吼したやうに、これほどの激しさで、たゝきつけねばならなかったのだろう。
パンティストのサザーランドは、クリストといふ至高の存在と受難をうけた肉體とが互に交流し、メタモルフォーズする、その戦慄に、衝撃をうけたらしい。が、グリューネワルトのクリストは生々しい傷をうけながら、まだ、その肉體は張り切ってあるのに対して、サザーランドのクリストはもはや弱く、しづかである。グリューネワルトのクリストは死んだばかりで、まだ温かみが消えぬ――といふより、體温が次第になくなつてゆくといふすさまじい状態だが、サザーランドのクリストは死んでから、すでに何年もたつてゐる。この邊は、ルネサンスの時代精神と現代の時代精神との相違かもしれぬし、あるひは、クリスト教徒とパンティストとのちがひかもしれない。
このころ『マグダレナ』もかいてゐて、ピカソの『ゲルニカ』の影響も見られるが、しかし、これも、より多く、イーゼンハイムに負ふものだろう。
『磔刑』をかいたのち、サザーランドは荊冠にひきつけられ、『いばら』を連作してゐる。蟲、木の實、葉などと同様、苦痛にゆがんだかたちだが、落ちつきと明るさとをもつてきてゐる。「『いばらの冠』は、ノーザムプトンの『磔刑』かいてゐるときの、殘酷の観念から生じたものだ。ぼくは、やさしい四圍の状況の中にいばらを示すことによって、その観念に二重のひねりを興へようとした」といつている。
(美術批評家)