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私論・藤田嗣治

 文化を支えるメド 体で実証

 融通性を持って対応

 

現代に通じる風潮

 フジタを論じようとすると、フジタの生きた激動期の日本の時代の風潮、社会を構成する意識の構造ーそれは、すぐさま、といっていいくらい、現代通じるのだがーについて、ふれぬわけにはいかない。

 ここ百年ほどの日本は、現象的にはーあるいは、図式的にいえばー世界に開かれようとするためのヨーロッパ化と、その裏がえしの国粋化とが交代をくりかえし、たがいに向きあわず、正しあおうとしなかった。(現在、価値の多元性、多極性が顕在化しているとき、この問題ははるかに複雑で、新しい意味をもつ)。

 「日本に生まれ、フランスで画家になった」フジタは、この現象にできるかぎりついてゆこうとした。いわば、そのときどきの、自分をとりまく状況に周到な用意をもってしたがっている。この融通性はアルチザンに特有の、ある責任のナサでもある。が、普通にいう節操のなさとか軽薄ということとは本質的に違う。

 奇妙な食い違い

 さまざまな意識構造が、重層的に、また、並列的に、さまざまな現象を生み、「雑種文化」といわれながら、個々には、大きなエネルギーと懸命な努力がはらわれ、すぐれた作品を生みながら、それらを結びつける関係に、どこか奇妙なくいちがいがある。大きなエネルギーが私たちのまわりにたちこめていて、それが漠(ばく)然とした雰(ふん)囲気として感じられるのだが、それを有機的に整合する関節が見いだせない。

 明治以来、この関節を見いだし整合のメドを求めて、多くの人が努力したにもかかわらず、そのほとんどが挫(ざ)折した。

 フジタの場合も、その一つの典型と思われる。彼もまた、文化全体のメドを身をもって求めようとした。アルチザンであることによって、またアルチザンであることを公言し、自他ともに

認めさせ、それによって、アルチストであることの自負を持ち、また、それを他にも認めさせようとしたにも、その態度の一つのあらわれであろう。

 また、あるときは、姿から挙動まで、まるきりフランス人と思われるほどフランス化し、また、あるときは、日本の文化の根底にある、むかしからほとんど変わらぬ庶民よりも、一見したところ、さらに庶民的な姿勢をとったのも、もともとフジタの性格に、そうした融通性があったにせよ、意識的に、文化全体のメドを自分のからだで証明しようとした態度の一つのあらわれだろう。

 だが、これは個人一人では手にあまることだった。多くの努力が挫折したのも、個々がそれぞれ個人プレーにおわって、たがいに正しあわなかったためだ。フジタもこの意味では、挫折せざるをえなかった。フジタが挫折したのか、それともフジタの生きている間、フジタをついにうけいれなかった日本が挫折したのかーこれはタマゴとニワトリの単純なナゾに似ているがー。

 ともかくも、フジタは、文化全体を支えるメドを求め、実証しようとしながら、アルチザンの最も厳格な意味において、文化のある一部分を支えるメドを志向せざるをえなくなったし、その点で一貫した正しさがある。

 志向の正しさ貫く

 挫折といい、失敗といい、そこに一貫した正しさ、あるいは、作家自身との正しい必然的な関係があるかぎり、それは決して、無意味に終わるものではあるまい。いや、フジタは多くの経歴をへたのち、みずから挫折を認め、その責任をとることによって、その志向の正しさを貫いた。というより、そう認めることによって、私はフジタの作品が一層よく理解できるように思われるし、少々大げさにいえば、「歴史」がはじまるのだ。(美術評論家 明大教授)

 

北國新聞 昭和五二年六月一四日

 

運慶 無著像: テキスト

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